みなさん、こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。

今回は、教師の好き嫌いについて。

人間なので、教師にも好き嫌いはあります。だからと言って、嫌いな相手を理不尽に攻撃するのはいじめです。この教師いじめに関しては、別稿に譲ります。

今回は、「好き嫌いはあって当然」、「教師いじめは論外」の後の、「それでも私情を捨て、手を取り合う時」があることについて述べたいと思います。

目的は児童生徒の人格の完成。やることは一つ

教育の目的は、児童生徒の人格の完成です。ただでさえ、限られた時間、予算、場所、人・・・。よって、教師がいがみ合っている時間などないのです。

次世代を担う者たちのことを第一に考えて動く。それが教師には必要です。私はそのことを大学の先生から学びました。

私が大学時代に薫陶を受けた、大学教授の言葉をもとに、以下、私情を捨てる大切さを述べます。

大学教授も「教員」です

大学の教員は、自身の専門分野に並々ならぬ自信と矜持を持っていらっしゃます。特定の分野を研究し続け、論文を書き、しかも研究し続けているのですから当然のことでしょう。

そして、日本の大学教授等は、「研究のプロだが教育のプロではない」と揶揄されることもあります。

しかし、大学教授等も大学「教員」なのです。

学生に研究の手立てを身に付けさせるのも教育、また研究者やその道の専門家に育てるのも教育なのです。

確かに、やけに休校の多い先生、授業では一方的に話すだけで板書もしない先生もいました。それでも、「もう大学生なのだから、自分で考えて聴いてノートをとるのが普通だ」という意見もあるでしょう。

 

しかし、そこには、教員として「人を育てる」という認識が見られません。この是非を問うつもりはありません。

ただ、日本にも、自身の研究の傍ら、しっかりと教育活動にも勤しむ方がいます。

 

それが、私の大学時代の学科の先生方でした。

 

「学生のために」と言える集団

私は障害児教育教員養成課程(現在、特別支援教育教員養成課程)で学びました。

そして、研究分野では、大別して教育学、臨床となります。

そうすると、臨床の方の先生は、教育学の分野を(わざと)非難することがあるのです。

例えば、「歴史など学んでも有用性は低い」と。研究者ならでわの言い回しですよね・・・。

重ねて、「科学的にデータをとって、障害児教育の現場に生かせることこそが研究だ」とも。

私は、障害児教育学の中でも、進路指導等やキャリア教育を専門とされているM教授の研究室に所属したので、挑発にも似た非難を忸怩たる思いで聞いていていました。

また、研究に関することだけではなく、学閥も関係あります。そういう世界ですね。

それでも、「個」で動き、自己の信念を頼りに生きているように見える大学の先生方であっても、一枚岩になる時があったのです。

 

それは、「学生のため」に動くときです。

 

私は、自身が所属する学科の先生方が、事あるごとに「学生のために」動いてくださっている場面を目にしました。

また、指導教官のM先生が、「平田君、分かるかい?これは、C類(所属学科の学内での通称)の学生のためなんだ。私たちは、学生を育てたいんだ」とおっしゃったのを聞いて感激しました。

 

「児童生徒のために」で良いではありませんか

「学校はブラックだ」、「教師のはブラックだ」という煽りとセットになっているのが、「『児童生徒のために』が教師を追い詰める」という表現です。

確かに、目的も共有せず、「うちは、ずっとこれをやってきたので」、「つべこべ言わずにやれ」、「新転任者が「やるのが当たり前でしょ」などという押し付けめいたものは教師を疲弊させます。

しかし、そんなものとは別次元のところに本来の「児童生徒のために」はあるのではないでしょうか。

教師も労働者です。しかし、同時に専門職でもあります。その専門性を発揮する対象は何か?

紛れもなく、所属校の児童生徒ではずです。

「生活のために教師をやっている」で大いに結構です。当然です。

ただ、生活のために教師をやって対価をいただくのであれば、しっかりと職責を果たすのも当たり前です。

これは教師に限ったことではありません。

「権利、権利・・・」と主張する前に、やはり、義務を果たすことは必須だと思うのです。

そうすることで、ごく当たり前のことを当たり前に、また当たり前以上にやっている先生方が理不尽な思いをすることがなくなると思います。

今の流れは、「やっている人のやる気を削ぐ」、「これから教師としてやっていこうと志望している人を失望させる」結果になってはいないでしょうか?

客観的に事実を示していき、職責を果たす。

その時に自信を持って、「児童生徒のために」と目的を話せるような雰囲気が戻ることを切に願います。

「児童生徒のために」で良いではありませんか!?

その目的が共有できていれば、私情を捨て、「教師として」協働できると思うのです。

「あいつは気に入らない」などという私情は、職員室に持ち込まないようにしましょう。

私情は、理性を曇らせます。そして、職場の雰囲気を悪くし、児童生徒に悪影響が及びます。

それこそ、「児童生徒」のためにならないのです。

大学の先生方も「学生のために」と協働されています。幼小中高の先生方もできるはずです!

有効な手立てが見つからなければ、ぜひ御相談ください!

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