教育現場で働く教師も、一人の人間です。人間である以上、同僚に対して好き嫌いの感情を抱くのは自然なことでしょう。しかし、その感情が教育活動に悪影響を与えてしまっては本末転倒です。

近年、教師の働き方改革や職場環境の改善が叫ばれる中で、教師間の人間関係についても注目が集まっています。教師いじめやハラスメントなどの深刻な問題も表面化していますが、今回はそうした極端なケースではなく、日常的な好き嫌いの感情をどう乗り越えて協働していくかについて考えてみたいと思います。

教師という職業は、児童生徒の人格形成に深く関わる重要な仕事です。そのため、教師自身の人間関係や感情のコントロールが、直接的に教育の質に影響を与えます。私情を職場に持ち込むことの弊害と、それを乗り越える方法について、実体験を交えながら詳しく探っていきます。

教育の根本目的:人格の完成を目指して

教育基本法が示す教育の目標

教育基本法第1条では、教育の目的を「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と定めています。この崇高な目的を達成するためには、教師一人ひとりの力だけでは限界があります。学校という組織全体が一丸となって取り組まなければなりません。

現代社会では、児童生徒が抱える課題も多様化・複雑化しています。いじめ、不登校、学習の遅れ、家庭環境の問題、発達障害への対応など、一人の教師だけでは解決できない問題が山積しています。こうした状況において、教師間の連携と協力は不可欠な要素となっています。

限られたリソースの中での教育活動

現代の教育現場では、様々な制約があります。時間的制約として、授業時間の確保、放課後の活動時間、長期休暇の有効活用があります。予算的制約では、教材費の不足、施設整備費の限界、研修費の削減などが挙げられます。人的制約においては、教師の配置数の不足、専門性を持った教員の確保の困難さ、経験豊富な教員の退職による知識の継承問題があります。

これらの制約がある中で、最大限の教育効果を上げるためには、教師間の無駄な対立や感情的な軋轢は排除すべきです。児童生徒の成長という共通目標に向かって、全ての教育関係者が力を合わせることが求められています。

限られたリソースを最大限に活用するためには、各教師が持つ専門性や経験を共有し、相互に補完し合う関係を築くことが重要です。一人の教師が得意とする分野を他の教師が学び、逆に自分の専門性を他者に提供することで、学校全体の教育力が向上します。

大学教育現場から学ぶ協働の姿勢

大学教授も「教育者」である

大学教授というと、研究者としての側面が強調されがちです。確かに、専門分野における研究活動は大学教授の重要な職務の一つです。しかし、同時に彼らは「大学教員」でもあります。研究と教育の両立は決して容易ではありませんが、優秀な大学教員ほど、この両方の責務を真摯に受け止めています。

大学教授の教育的役割は多岐にわたります。研究手法の指導では、学生が学術的思考力を身につけられるよう段階的に指導します。専門知識の体系的伝授では、学問領域の基礎から応用まで、体系的な理解を促進します。批判的思考力の養成では、多角的な視点からの分析力を育成し、一面的な見方に陥らない柔軟性を培います。

さらに、研究者としての倫理観の育成では、学術的誠実性の重要性を実際の研究活動を通じて伝えます。社会貢献への意識醸成では、研究成果をいかに社会に還元するかという視点を学生に提供します。これらの教育活動は、単なる知識の伝達を超えて、人格形成に深く関わる重要な営みです。

専門分野の違いを超えた協力体制

私が学んだ障害児教育教員養成課程(現在の特別支援教育教員養成課程)では、教育学系と臨床系の教員が混在していました。教育学系教員は、教育史、教育哲学、教育制度論などを専門とし、理論的・歴史的アプローチを重視していました。教育現象を社会文化的文脈で捉え、長期的・巨視的な視点での分析を得意としていました。

一方、臨床系教員は、心理学、医学、リハビリテーション学などを基盤とし、実証的・科学的アプローチを重視していました。個別の事例や症例に基づく分析を行い、即効性・実用性を追求する傾向がありました。

これらの異なるアプローチを持つ教員間では、時として学術的な議論が白熱することがありました。臨床系の教員から「歴史研究は現場の役に立たない」といった挑発的な発言が出ることもありました。「科学的にデータをとって、障害児教育の現場に生かせることこそが研究だ」という主張も頻繁に聞かれました。

このような発言を聞くたびに、教育学系の研究室に所属していた筆者は、忸怩たる思いを抱いていました。自分の専攻する分野が軽視されているような気持ちになり、時には反発心も湧きました。しかし、後に気づいたのは、これらの発言の背景には、それぞれの教員が自分の専門分野に対する深い愛情と誇りを持っていたということでした。

「学生のために」という共通目標

しかし、そうした専門分野間の対立を超えて、全ての教員が一致団結する瞬間がありました。それは「学生のため」に行動する時でした。カリキュラム改革の議論では、学生により良い学習機会を提供するために、教育学系と臨床系の教員が熱心に議論を交わしていました。実習指導の充実では、教育現場との連携を強化し、学生が実践的な経験を積めるよう協力していました。

就職支援においては、学生の進路決定に向けて、各教員が自分の人脈や経験を総動員してサポート体制を構築していました。研究指導では、卒業論文や修士論文の質向上のために、専門分野を超えた指導体制が組まれることもありました。学生相談では、学習面・生活面での困りごとに対して、教員が一体となって対応していました。

筆者の指導教官であったM教授は、ある日こう話してくれました。「平田君、分かるかい?これは、C類(学科の通称)の学生のためなんだ。私たちは、学生を育てたいんだ」。この言葉からは、専門分野の違いを超えた教育者としての使命感が感じられました。

この体験から学んだのは、専門性への誇りと協働の精神は決して矛盾するものではないということです。むしろ、それぞれが専門性を高めることで、より良い協働が可能になるのです。自分の専門分野に対する深い理解と愛情があるからこそ、他の分野の価値も認められるようになります。

初等中等教育における「児童生徒のために」の真意

「ブラック校則」批判との違い

近年、「学校はブラック」「教師の仕事はブラック」という批判と合わせて、「『児童生徒のために』という言葉が教師を追い詰める」という指摘もあります。確かに、根拠のない慣習の強要や思考停止的な指示、新任教師への一方的な押し付けなどは問題です。「昔からこうやってきた」という理由だけで意味のない業務を継続することや、「つべこべ言わずにやれ」といった威圧的な指導は、教師の意欲を削ぐだけでなく、結果的に教育の質も低下させます。

しかし、そうした歪んだ「児童生徒のために」と、本来の教育目的に基づいた「児童生徒のために」は全く別のものです。前者は上からの押し付けであり、教師の主体性を奪うものです。後者は教師自身が専門職としての誇りと責任を持って取り組むものです。

本来の「児童生徒のために」は、教師一人ひとりが教育の専門家として、児童生徒の成長と発達にとって何が最善かを考え、行動することです。これは決して教師を追い詰めるものではなく、むしろ教師の専門性を発揮する機会を提供するものです。

教師の専門職としての意識

教師は確かに労働者ですが、同時に高度な専門職でもあります。医師や弁護士と同様に、専門的な知識と技能を持ち、社会から高い信頼を寄せられている職業です。その専門性を発揮する対象は、まさに目の前にいる児童生徒です。

専門職としての教師には、継続的な学習と自己研鑽が求められます。新しい教育理論や指導法を学び、それを実践に活かす努力が必要です。また、児童生徒一人ひとりの特性や課題を理解し、個別に応じた指導を行う能力も必要です。さらに、保護者や地域社会との連携を図り、児童生徒を取り巻く環境全体を視野に入れた教育活動を展開することも重要です。

生活のために教師をやっているという動機は全く問題ありません。むしろ、生活の基盤を確保することで、安心して教育活動に専念できるというメリットもあります。しかし、対価をいただく以上、しっかりと職責を果たすのは当然のことです。これは教師に限ったことではなく、全ての職業に共通する基本的な原則です。

権利と義務のバランス

近年、教師の労働環境改善が叫ばれる中で、権利意識が高まることは自然な流れです。適正な労働時間、適切な休暇の取得、合理的な業務分担などを求めることは正当な権利です。しかし、権利を主張する前に、まず自分に課せられた義務を確実に果たすことが重要です。

義務を果たすということは、決して自己犠牲を強いるものではありません。むしろ、プロフェッショナルとしての誇りと責任を持って仕事に取り組むということです。授業の準備を丁寧に行い、児童生徒一人ひとりに向き合い、同僚との協力関係を築く。これらは義務であると同時に、教師としての専門性を発揮する機会でもあります。

このような姿勢で職務に取り組むことで、真摯に教育活動に従事している多くの教師が理不尽な思いをすることがなくなります。また、これから教師を志望する人たちにとっても、教職の魅力と意義を再確認できる環境が整います。

現在の風潮には懸念すべき点があります。一部の問題のある事例を過度に一般化し、教職全体を否定的に捉える傾向です。これは、真面目に取り組んでいる教師のやる気を削ぎ、教職を志望する優秀な人材を遠ざける結果を招いています。

私情を乗り越える具体的方法

職場における感情のコントロール

教師も人間である以上、同僚に対する好き嫌いの感情を完全になくすことはできません。しかし、その感情を職場に持ち込むことは避けなければなりません。私情は理性を曇らせ、客観的な判断を妨げます。また、職場の雰囲気を悪化させ、最終的には児童生徒にも悪影響を及ぼします。

感情をコントロールするためには、まず自分の感情を客観視することが重要です。なぜその同僚に対して否定的な感情を抱くのか、その理由を冷静に分析してみることです。多くの場合、表面的な印象や一面的な情報に基づいて判断していることがあります。

次に、その同僚の良い面や専門性に目を向けることです。どんな人にも必ず長所や得意分野があります。それを見つけて認めることで、感情的な対立を避けることができます。また、共通の目標である児童生徒の成長に焦点を当てることで、個人的な感情を超えた協力関係を築くことが可能になります。

チームワークの重要性

学校教育は本質的にチームワークが必要な仕事です。学級担任、学年主任、教科担当、生徒指導担当、進路指導担当など、様々な役割を持った教師が連携して初めて、質の高い教育が実現できます。一人の教師がどんなに優秀であっても、他の教師との協力なしには限界があります。

効果的なチームワークを築くためには、まず相互理解が必要です。それぞれの教師が持つ経験、専門性、価値観を理解し、尊重することから始まります。また、情報共有を密に行い、児童生徒の状況や指導方針について常に連携を図ることも重要です。

定期的な職員会議や学年会議は、単なる報告の場ではなく、教育方針を共有し、課題解決のアイデアを出し合う貴重な機会として活用すべきです。また、日常的なコミュニケーションを通じて、お互いの取り組みを認め合い、支え合う関係を築くことが大切です。

学校組織としての一体感

学校が一つの組織として機能するためには、全ての教職員が同じ方向を向いていることが必要です。そのためには、学校の教育目標や方針を明確にし、全員で共有することが重要です。校長のリーダーシップの下、教頭や主任教諭がそれぞれの役割を果たし、全体をまとめていく体制が求められます。

また、新任教師や転任教師に対する温かい受け入れ体制も重要です。新しい環境で戸惑っている教師に対して、経験豊富な教師が積極的にサポートし、学校の文化や慣習を丁寧に伝えることで、早期に学校組織に溶け込めるよう支援することが必要です。

さらに、教師同士の学び合いの文化を醸成することも大切です。授業研究や事例検討会などを通じて、お互いの実践を共有し、切磋琢磨する環境を作ることで、学校全体の教育力向上につながります。

児童生徒への影響を最優先に

教師の人間関係が与える影響

教師間の人間関係は、直接的に児童生徒に影響を与えます。教師同士が良好な関係を築いていれば、その和やかな雰囲気は自然と児童生徒にも伝わります。逆に、教師間に対立や不信があれば、それも児童生徒に感じ取られてしまいます。

児童生徒は大人が思っている以上に敏感です。教師同士の微妙な空気の変化や、言葉の端々に現れる感情を敏感に察知します。特に、担任教師と他の教師との関係は、学級の雰囲気にも大きく影響します。

また、教師間の連携がうまくいっていないと、指導の一貫性が保てなくなります。ある教師は厳しく指導し、別の教師は甘く対応するといった状況が生まれると、児童生徒は混乱し、教師への信頼も失ってしまいます。

一貫した指導体制の構築

児童生徒にとって最も良い教育環境を提供するためには、全ての教師が一貫した方針で指導に当たることが必要です。これは決して画一的な指導を意味するものではありません。基本的な価値観や指導方針を共有しつつ、それぞれの教師の個性や専門性を活かした多様な指導が理想的です。

例えば、生活指導においては、遅刻や忘れ物に対する基本的な対応方針を統一しつつ、個別の事情に応じた柔軟な対応も組み合わせることが重要です。学習指導においては、学年や教科を超えた連携により、児童生徒の学力向上を図ることができます。

進路指導においても、担任教師だけでなく、教科担当教師、部活動顧問、養護教諭など、様々な立場の教師が連携してサポートすることで、児童生徒一人ひとりの適性や希望に応じた指導が可能になります。

保護者との信頼関係

教師間の連携がうまくいっていると、保護者との関係も良好になります。学校からの情報発信が一貫しており、教師によって言うことが違うといった混乱を避けることができます。また、問題が発生した際にも、学校として統一した対応ができるため、保護者の信頼を得やすくなります。

保護者は子どもの教育について様々な不安や期待を抱いています。その不安を解消し、期待に応えるためには、学校全体が一丸となって取り組む姿勢を示すことが重要です。個々の教師の努力だけでなく、チームとしての学校の力を保護者に感じてもらうことで、より深い信頼関係を築くことができます。

実践的な協働の進め方

日常的なコミュニケーションの重要性

効果的な協働を実現するためには、日常的なコミュニケーションが欠かせません。朝の職員室での挨拶から始まり、休み時間の何気ない会話、放課後の情報交換まで、様々な場面でのコミュニケーションが関係性を深めます。

特に重要なのは、児童生徒に関する情報の共有です。学級での様子、学習状況、家庭環境の変化など、一人の教師だけでは把握しきれない情報を、複数の教師で共有することで、より適切な指導が可能になります。

また、教育実践に関する情報交換も重要です。うまくいった指導方法、失敗から学んだ教訓、新しい教材や教具の情報など、お互いの経験を共有することで、学校全体の指導力向上につながります。

組織的な取り組みの推進

個人レベルでの努力に加えて、学校組織としての仕組みづくりも重要です。定期的な学年会議、教科部会、校内研修などを通じて、継続的に協力関係を深めていく体制を整えることが必要です。

校内研修では、外部から講師を招いた研修だけでなく、教師同士が互いの実践を発表し合う機会も設けるべきです。これにより、それぞれの教師の専門性や工夫を共有し、学び合う文化を醸成することができます。

また、学校行事の企画・運営を通じて、普段は接点の少ない教師同士が協力する機会を作ることも効果的です。文化祭、体育祭、修学旅行などの大きな行事は、教師間の結束を深める絶好の機会となります。

管理職のリーダーシップ

校長や教頭などの管理職は、教師間の協働を促進するための重要な役割を担っています。明確なビジョンを示し、全教職員がそのビジョンを共有できるよう働きかけることが求められます。

また、教師間の対立や問題が発生した際には、迅速かつ公正に対応し、解決に向けた調整役を果たすことも重要です。感情的な対立に発展する前に、冷静な話し合いの場を設け、建設的な解決策を見つけることが管理職の役割です。

さらに、優れた実践を行っている教師を適切に評価し、他の教師の模範として紹介することで、学校全体のモチベーション向上を図ることも大切です。

まとめ:次世代のための教育環境づくり

教師間の好き嫌いという個人的な感情を乗り越えて、真の協働を実現することは決して容易ではありません。しかし、それは教育の質を向上させ、児童生徒により良い学習環境を提供するために不可欠な取り組みです。

大学の教員が専門分野の違いを超えて「学生のために」協力するように、初等中等教育の教師も「児童生徒のために」私情を捨てて手を取り合うことができるはずです。それは決して自己犠牲を強いるものではなく、教師としての専門性と誇りを発揮する機会なのです。

現代社会が求める教育の質の向上、多様化する児童生徒への対応、保護者や地域社会からの期待に応えるためには、教師一人ひとりの力だけでは限界があります。しかし、全ての教師が力を合わせれば、その限界を超えることができるのです。

私情を職場に持ち込まないという基本的な姿勢から始まり、日常的なコミュニケーション、組織的な取り組み、そして管理職のリーダーシップまで、様々なレベルでの努力が求められます。そして、その全ての努力の中心には、常に児童生徒の成長と発達という共通の目標があるべきです。

「児童生徒のために」という言葉を、押し付けの道具ではなく、教師としての使命と誇りを表す言葉として取り戻すこと。それが、真の教育環境改善への第一歩となるでしょう。教師間の協働により、次世代を担う児童生徒たちにとって最良の教育環境を提供していく。それこそが、私たち教育関係者に課せられた重要な使命なのです。

 

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