教育現場から働く不安を解消する!

〈先生のための働き方コーチ〉平田洋典(ひらたひろのり)

はじめに

皆さん、初めまして。「先生のための働き方コーチ」の平田洋典です。私は、公立学校の教員16年の経験とコーチング技術、カウンセリング技術を融合させて、「教育現場の働く不安を解消し、教育現場から日本の未来を元気にする」ことを志命として、平成30年4月1日から活動しています。

私は、先生方の目的達成のために、「心の在り方」について適切な指導助言をするコーチです。教師としての強固なマインドの在り方、また、その礎となる人としての在り方をお伝えしていきます。

実直な先生方が不当な圧力、理不尽な圧力で苦しむこと、教師の世界から離れることは大きな損失です。私はそのような先生方の悩みを解決し、強みを3倍引き出し、輝く教師人生の道筋を作ります!その結果、幼児、児童、生徒がまっすぐに成長して、この日本の未来を背負ってくれると信じています。

教員からコーチ・カウンセラーに

さて、私が教職を辞し、先生方を応援する立場になろうと決意した経緯を書きたいと思います。
私は小学3年生から野球を始め、中学時代には全国大会3位の成績を収めました。高校では甲子園出場は叶わなかったものの、目標に向かって努力した月日は何にも代えがたい財産となり、教師としての在り方に大きく影響を与えました。その中で最も大きいのが、中学時代の恩師の教えである「野球だけできても駄目だ。礼儀、勉強など、当たり前のことを当たり前にできる人間になりなさい」というものでした。

教職に就いてからは、初任の時から授業、校務分掌、生徒指導等はもちろんのこと、毎朝の職員室内のゴミ捨て等、「当たり前のことを当たり前に」こなしました。同僚と協力して教科指導、進路指導、生活指導、部活動指導に励みました。その中で、生徒たちが人間的な成長を見せ、担任した学級の全生徒が進路を決めていく様子に感動と充実感を覚えました。

しかし、生徒のために教師として当たり前のことに取り組んでも、「出る杭」として打たれるという理不尽な圧力を度々経験しました。また、職務の偏りによる月平均100時間を超える残業、休日出勤を4年間続け、心身ともに崩壊しました。教師生活最後の年度は、6月の部活動終了後に救急搬送されました。それでも、病気休職をとらず受験指導、部活動指導で一定の結果を出しました。何よりも大きいのは、それらの数字に表れる面ではなく、担任した生徒たちが健康に卒業、進級をしていったということでした。

私自身は、前述したように心身共に健康ではありませんでした。そのような状態でも、なぜ休まずに、ある意味無理をしてでも続けたのか・・・?それには、二つ理由があります。一つ目は、自分は間違ったことはしていないという確信をもち、目の前の生徒たちの成長に関わり続けるという信念があったからです。

二つ目は、自分が苦しい状況でも信念をもち教員を続けて、いつかその状況を脱した時に、同様に苦しんでいる先生を助けることができるのではないかと考えたからです。そのため、教師としての仕事と並行して、セラピストの資格取得のための勉強を始めました。そして、6か月かけて資格を取得しました。その行動の背景には、理不尽な圧力を受けて自分を責めて教師を辞めていく方々を、直接的、また間接的に、複数見てきたという事実もあります。この状況を変えて、正しい先生方が教職を続けて、子どもたちの輝く未来につながっていくお手伝いを、私はします。

おわりに

当たり前のことを当たり前に、当たり前以上にこなす実直な先生方、あなた方は絶対に教育現場に必要です。私と関わることで、自分の強みにフォーカスして、強い軸を作って教師人生を全うできるようになることをお約束します。
実直な先生方。あなた方が子供の未来を輝かせ、日本の未来を輝かせる礎なのです。辛いことや苦しいことに押し潰されそうになったら、「先生のための働き方コーチ」の私のもとに来てください。あなたを輝かせるマインドをもって働く方法をお伝えします。ともに子供たちのために頑張りましょう!

職歴

公立学校教員経験16年

①肢体不自由養護学校(現在は「特別支援学校」の呼称)【高等部】
→準ずる教育課程、知的障害代替の教育課程を担当。学力や生活力だけではなく、疲れにくい姿勢などについても学んだ。自立活動中心の教育課程の生徒の指導にも、給食時や休み時間に関わった。その中で、どの生徒にも学ぶ意欲、生命力が備わっていることに感動し、教師として以前に人間として他者にどのように向き合っていくか、多くのことを学ぶことができた。なお。大規模校で寄宿舎も併置だったため、教職員の連携の重要性、管理職のリーダーシップの重要性についても学ぶ良い機会になった。保護者との関りも密で、保護者の想いに寄り添える教師になろうと決意した。

②ろう学校 【高等部】
自身の専門とする校種で勤務できることになった。異動していきなり、本科(普通科)3年生の担任になった。さらに、修学旅行の交流学習担当に。「人事」には色々なことが絡んでくるし、押しつけられやすい立場の教師が存在することを知った(私は「押しつけ」とは思わなかったが、世間一般的に見れば押しつけの流れ)。幼稚部から高等部専攻科まで、0歳から20歳までが通う学校で勤務できたことは大きい。

(教員採用試験を受験し直す。別の自治体へ)

③ろう学校【高等部】
日本一のろう学校を標榜する学校で、教師集団が生き生きしていた。強いリーダーシップの管理職のもと、教職員が同じ方向を見て職務に当たる現場に入れて幸せだったと思う。教科指導はもちろんのこと、部活動指導にも励んだ。生徒から、色々なものが飛んできた・・・。御想像にお任せします。
6年間勤務したが、前期3年と後期3年で学校の雰囲気も変わってきた。いい意味でも悪い意味でも、「教育は人なり」と実感した。修学旅行の単元責任者を2回務め、沖縄での平和学習に力を入れた。卒業生を2度送り出した。最初の卒業生は、今、母校で教壇に立っており感慨深い。なお、「家庭と仕事」についても深く悩み考えた。答えは出ない。問い続ける。
なお、5年目に東日本大震災が起き、震度5の揺れだった。電車は止まり、多くの幼児児童生徒とともに、学校に宿泊した。防災担当だったこともあり、主幹教諭とともに実働部隊の先頭で動いた。子どもたちの命を守ることが教師の使命だと実感した。

④病弱特別支援学校【中学部】
大規模病院の中にある院内学級へ。医師、看護師との連携の難しさを知ると同時に、教育と医療との関連を学び、大きな財産となる。心に課題を抱えた中学生の心の叫びを聞くことに全力を尽くした。子どもたちを追い詰めるいじめなどの問題に心を痛めた。指導方針を巡って、教師間で大きな軋轢があった。

⑤ろう学校【高等部】
進学する生徒が多かったため、受験指導、特に小論文指導に力を入れた。部活動の指導にも力を入れ、多くの感動的な体験をした。労働時間がおかしなことになり、自身の健康も蝕まれていった。それでも、教育の専門家としての矜持を持ち続けることはできた。

免許・資格

①高等学校教諭一種免許(国語)
②中学校教諭一種免許(国語)
③ろう学校教諭一種免許
④養護学校教諭一種免許
⑤ろう学校自立活動教諭一種免許
⑥日本心理セラピスト協会認定 上級セラピスト
⑦日本心理セラピスト協会認定 ヒプノセラピスト