こんにちは、先生のための働き方コーチ・平田洋典です。さて、「改革」という言葉が喧伝される今日この頃。私がいつも感じることがありあます。それは、「改革」と掲げる前にも、声を上げている人はいたはず、ということです。

これは働き方改革に関わらず、学校の教育課程を大きく変える場合なども同じです。また、職場の「風通し」についてもそうではないでしょうか。

今のままではいけない、と考えて提案をする人がいたはずです。しかし、その都度、「うちの学校では無理だよ」、「何、きれいごと言ってんだよ」と言葉や態度で一蹴されてしまう職場があります。

改革となってしまうと、全国一律に命令として動くことが大半です。そうなると、変わらなくても良い職場までかき乱されてしまいます。

そもそも、職場での実情は違うのです。その中で、上がってきた声を真摯に受け止めて協議していく。それこそが重要ではないでしょうか。

あっ。この考え方も職場によっては「きれいごと」だと笑われてしまうかもしれませんね。

今回は、「きれいごと」を実現させるために必要な働き方について述べたいと思います。

現状がどうなのか考える柔軟性を

教育現場で「きれいごと」と片付けられる具体例を挙げて、その背景を分析します。そうすることで、現状を打破する可能性のある提案等を「きれいごと」で終わらせないための方法を提案していきたいと思います。

まずは定義から

「きれいごと」

見かけや口先だけ一応体裁よくつくろってあるが、実質のともなっていない事柄(『新明解 国語辞典』三省堂)

確かに、行動しない人間が口先だけで立派なことを言った場合、「きれいごと言うな!」と一蹴されても仕方ありません。
実質が伴わなければ、何も変わりませんので。

しかし、学校現場で、「それは、きれいごとだ」と一蹴される場合には、ある特徴があるのです。

「きれいごと」を言う人は実は行動できる

学校現場で「それは、きれいごとだ」と断罪される人々は、実質が伴っていない・・・ことはない。つまり、口で言うことを行動に移そうとしている人たちが多いのです。

以下に例を挙げてみます。

戸惑う教師たち

➀初任者が、大学で学んだ指導法を取り入れたいと発言すると、「きれいごと言うなよ」と一蹴・・・。

→例えば、肢体不自由特別支援学校の自立活動で、「動作法」などを取り入れようとしたとする。

その職場に、「動作法」を知っている教師がいなければ、「こいつ初任者のくせに生意気だ。現実を見ろよ。そんなの机上の空論だろ」などとなります。

その初任者が言っていることは、全国の特別支援学校を探せば複数の学校が取り入れていることであり、かなりの効果もある方法です。理論的にも技術的にもしっかりとした背景があります。

この初任者は、自分の担当している生徒の運動場面での緊張を「動作法」を用いて緩和して、可動域を広げていくことにつなげることでしょう。

➁進学校から異動してきた教師が進路多様校で教科書をしっかりと使った授業を行った方が良いと提案すると、「うちの生徒には無理。きれいごと言うなよ」と一蹴・・・

その異動者が言っているのは、教育課程通りにしっかりと授業を行い、学力を付けるということです。

これまで、生徒が授業に取り組まないことに疲れた職場内で、授業の工夫という方向に意識が向かない場合、易きに流れてしまいがちです。

「うちの生徒はやる気がないから、教科書通りは無理だな」と。

そのような状況に、「教育課程通りに教科書をしっかり使いましょう」という提案が来ると、「こいつは何も分かっていない。うちの生徒の実情が分かっていない」という論理で「きれいごとだ」という言葉が生み出されてしまいます。

しかし、授業が始まってみると、異動者の先生の授業は、生徒たちが集中して毎時間質問が出る状態に。これは、「授業で勝負」という気概のもと、この先生が工夫した結果です。

実質が伴わないとは、「イメージ」での判断

➀と➁から分かるように、周囲から「きれいごとだ」と断罪された二人の先生。彼らは、行動し、結果を出しました。

では、前からいる先生方は、なぜ「実質が伴わないきれいごとだ!」と判断したのでしょうか?

それは、今ないもの、やっていないものを基準にしてイメージしているからです。そうすると、「実質が伴っていない」のはどちらでしょうか?はい、断罪する先生方です。

このような例は枚挙に暇がありません。

働き方を改革する前に

現在、「働き方改革」と称し、大掛かりな動きが展開されています。それは、結構なことかもしれませんが・・・。

それ以前に、文科省が動かざるを得なくなる前に、各職場で「改革」ではなく「改善」できたことがあったように思うのです。

それは、意識を変えることです。

自分たちが経験していないもの、これまでにやって来なかった取り組みに対して「きれいごと」と一蹴するのではなく、まずは見てみる。そして、効果がありそうならやってみる。このような姿勢が持てるようになると、「改革」前に学校の状態は改善していくのではないでしょうか。

そして、「きれいごと」と一蹴されるだけならまだしも、現実には、新しいことを提案したりすると「生意気だ」、「面倒なやつだ」、「むかつく」といじめの対象にもなることもあります。

このような理不尽な仕打ちを受けて、教師としての実力があり、子どもたちの未来に寄与できる先生方が現場を去ること。それこそが、「改革」と上から叫ばなければ、学校が変わろうとしなかった一因ではないでしょうか。

心ある先生方の前向きな提案を「きれいごと」で済ませるのであれば、「きれいごと」の定義を変えるように出版社に連絡した方が良いのでは?と思ってしまいます。

まとめ

子どもたちは多様です。そのため、教師も多様性を持つことが求められています。個人の多様性では限界があるのであれば、複数で組んで多様性を発揮すれば良いと思います。

完璧な人間はいません。お互いに尊重し合い、より良い学校づくりのために、「きれいごと」という言葉を職場から無くしてみませんか?

最後に。経験や理論に裏打ちされた建設的な意見を出しても「きれいごとだ」と一蹴されてしまう先生方、あなたの力が発揮できる日が必ず来ます。現状が辛くとも、御自身を信じて、その素晴らしい実践を続けてください。

先生の実践は「きれいごと」ではなく、「現実」そのものです。

「職場でやりたいことができない」とお悩みの先生方、御相談お待ちしております