人事異動の通知を受け取った瞬間、私の心は躍りました。念願のろう学校への異動。専門性を活かせる環境で、子どもたちの成長に貢献できる。そんな希望に胸を膨らませながら、新天地へと向かいました。
しかし、その学校で待っていたのは希望ではなく、人間の醜さが凝縮された地獄でした。異動からわずか数ヶ月後、私はうつ病と診断されることになります。
なぜ、教師という職業はこれほどまでに人を破壊するのでしょうか。なぜ、同じ教育者同士が足を引っ張り合うのでしょうか。そして、この絶望的な状況から、どうやって自分を救い出すことができるのでしょうか。
私の体験は決して特殊なものではありません。今、この瞬間も、全国の学校で同じような悲劇が繰り返されています。あなたも、いつこの罠に落ちるかわからないのです。
目次
「出る杭」として標的にされる恐怖
手話という「罪」
新しい職場で私が犯した最初の「罪」、それは手話ができることでした。ろう学校に勤務する教師として当然のスキルが、なぜか同僚たちの嫉妬と怒りの対象となったのです。さらに、いきなり高校3年生の担任に抜擢されたことが、彼らの感情を決定的に刺激しました。
興味深いのは、私を攻撃してきたのが同じ学部の教師ではなく、他学部の教師たちだったことです。直接的な利害関係もないのに、なぜ彼らは私を敵視したのでしょうか。答えは単純で恐ろしいものでした。学校という閉鎖的な組織では、「違い」そのものが脅威と見なされるのです。
地元出身ではない大学を卒業していること、従来の高等部教員とは異なるタイプであること、そして何より、彼らが持たない専門スキルを持っていること。これらすべてが、私を排除すべき異物として認定する理由となったのです。
覇権争いという愚かしい現実
学校内では、表面上は「子どもたちのため」という美しい理念が語られます。しかし、その裏では学部間、派閥間での醜い覇権争いが繰り広げられているのです。私の存在は、既存の権力バランスを脅かす要因として認識されたのでしょう。
「この新参者が力をつけると、我々の地位が危うくなる」「今のうちに潰しておかなければ」そんな計算が働いていたのかもしれません。教育現場でこのような政治的思考が働いていることに、私は心底失望しました。
子どもたちの前では教育愛を語りながら、職員室では同僚を蹴落とすことに必死になる。この矛盾した現実が、教育現場の暗部なのです。
分掌という名の処刑台
理不尽な攻撃の始まり
私に与えられた分掌は研究部でした。大きな研究大会の取りまとめという重要な役割でした。責任の重さを感じながらも、やりがいを持って取り組んでいました。
2回目の分掌会議で、私は前年度までのやり方に倣って提案を行いました。至って普通の、常識的な提案でした。しかし、その瞬間、他学部のベテラン教師2名から容赦ない攻撃が始まったのです。
「そんなやり方では分からない」「あなた、何でもできるんじゃないの?しっかり考えて!」
その声には、教育的指導とは程遠い、純粋な悪意が込められていました。私は何が起きているのか理解できず、ただ混乱するばかりでした。
「何でもできる」という皮肉な賞賛
「何でもできるんじゃないの?」この言葉ほど、教育現場の病理を表すものはありません。本来であれば、能力の高い同僚の存在は歓迎されるべきものです。しかし、彼らにとって私の能力は脅威でしかありませんでした。
この言葉の裏には、「調子に乗るな」「身の程を知れ」という強烈なメッセージが込められていました。組織にとって有益なはずの人材を、妬み嫉みで潰そうとする。これが教育現場の現実なのです。
私が当たり前のことを当たり前にこなしているだけなのに、それが彼らには許せませんでした。優秀であることが罪になる職場。そんな環境で、まともな教育ができるわけがありません。
「すみません」という致命的な降伏宣言
謝罪がもたらした破滅
理不尽な攻撃を受けた瞬間、私は反射的に「すみません」と口にしました。この一言が、私を地獄の底へと突き落とす決定打となったのです。
なぜ私に非がないのに謝ったのでしょうか。それは、突然の攻撃に気が動転し、とりあえずその場を収めたいという気持ちが働いたからです。しかし、この謝罪は相手に「こいつは餌食にできる」という確信を与えてしまいました。
本来であれば、「なぜでしょうか?昨年度までと同じやり方ですが」「どこが分からないか具体的に教えてください」「何でもできるとはどういうことですか」と、冷静かつ毅然とした態度で応答すべきでした。
弱さを見せた瞬間の代償
会議の場であっても、理不尽な攻撃に対しては堂々と反論する権利があります。むしろ、そうすることが健全な議論を促進し、組織の発展につながるはずです。
しかし、私は希望に満ちた新天地で波風を立てたくありませんでした。この甘い考えが、致命的な隙を生んだのです。「好事魔多し」とはまさにこのことでした。
一度「すみません」と言ってしまった私は、以後、彼らにとって格好の標的となりました。無視、嫌味、嫌がらせが日常となり、私の精神は徐々に蝕まれていったのです。
自己破壊へと向かう危険な思考回路
頭から離れない負のループ
分掌の仕事がうまく進まないことが、四六時中頭から離れなくなりました。朝起きた瞬間から夜眠るまで、そして夢の中でさえ、その問題が私を苛み続けました。
「俺、何やってんだ。こんな簡単な役もこなせないなんて馬鹿だ」「なぜ、もっと別の言い方をしなかったんだ」
冷静に考えれば、誰がやっても同じような対応をしたはずの状況なのに、私はすべての責任を自分に押し付けていました。これがうつ病の恐ろしさです。現実を歪めて認識し、自分を過度に責める思考パターンに陥ってしまうのです。
理不尽を内在化する悲劇
最も恐ろしいのは、他者からの理不尽な攻撃を、自分の内部で正当化してしまうことでした。「彼らが怒るのも無理はない」「自分に至らない点があるからだ」そんな風に考え始めると、もう抜け出すことは困難になります。
断続的な嫌がらせを受けながら、それでも「自分が悪い」と思い込む。この思考の歪みこそが、うつ病の本質なのかもしれません。
心療内科で薬を処方されましたが、根本的な解決にはなりませんでした。薬は症状を一時的に和らげるだけで、構造的な問題は残ったままでした。
絶望の淵から這い上がる自己分析
「自分とはどのような人間か?」という問い
薬に頼るだけでは解決しないと悟った私は、徹底的な自己分析を始めました。「自分とはどのような人間か?」「どのような環境で力を発揮できるのか?」「何が自分を幸せにするのか?」
この分析の結果、重要な発見がありました。私は休職をしても自分を責め続けるタイプであり、環境を変えない限り回復は困難だということでした。
つまり、この学校にいる限り、私のうつ病は治らない。そう結論づけた私は、一つの決断を下しました。「ここを去ろう」と。
希望という名の武器
他の自治体の教員採用試験を再受験することを決意し、勉強を開始しました。この「次年度は環境が変わる」という希望が、残りの勤務期間を支える力となったのです。
興味深いのは、生徒との関わりが私にとってプラスに作用したことです。うつ病の原因は同僚との人間関係であり、教師という職業そのものではありませんでした。生徒たちの成長を見ていると、「自分は教師で居続けたい」という確信が強まりました。
結果的に、他の自治体の教員採用試験に合格することができました。絶望の淵から這い上がる力は、自分の中にあったのです。
選択肢の多様性と個人の主体性
唯一解はありません
私はうつ病でも勤務を続けるという選択をしましたが、これが唯一の正解ではありません。休職も立派な選択肢の一つですし、転職も有効な手段です。
重要なのは、自分にとって最適な選択を見極めることです。客観的に自分を見ることができないほど辛い時は、まずは休むことをお勧めします。そして、十分に回復してから次の判断をしても遅くはありません。
他人の価値観や常識に振り回されず、自分自身の状況と価値観に基づいて決断することが大切です。
他者の言葉に惑わされてはいけません
「えっ、そんなことで悩んでるの!?」「考えすぎだよ!」こんな言葉をかけてくる人がいるでしょう。しかし、悩みの深刻さは他者との比較で決まるものではありません。
あなたにとって身動きが取れないほど辛いなら、それは紛れもなく深刻な問題なのです。誰に何と言われようとも、自分の感情と真摯に向き合うことが回復への第一歩となります。
現代教師の生存戦略
心の避難所を確保しましょう
教師という職業は、想像以上に精神的な負担が大きいものです。同僚、管理職、保護者、生徒、様々な人間関係の中で板挟みになり、心が疲弊することは珍しくありません。
だからこそ、心にダメージを負った際に自分を労わることができる場所を、あらかじめ確保しておくことが重要です。それは信頼できる友人かもしれませんし、趣味のコミュニティかもしれません。家族や恋人という存在も大きな支えとなります。
重要なのは、学校という狭い世界だけが自分のすべてではないということを常に意識することです。
戦略的思考の必要性
現代の教師には、教育スキルに加えて、組織で生き抜くための戦略的思考が必要です。理不尽な攻撃を受けた時の対処法、人間関係のトラブルを回避する方法、自分の精神的健康を守る技術。
これらは教員養成課程では教えてくれませんが、実際の教育現場では不可欠なスキルなのです。
逃げることは恥ではありません
最後に、最も重要なことをお伝えします。耐え難い環境から逃げることは、決して恥ずかしいことではありません。むしろ、自分を守るための正当な権利なのです。
「石の上にも三年」「継続は力なり」こうした言葉に縛られて、自分を破壊する必要はありません。時には戦略的撤退が、最も賢明な選択となることもあります。
あなたの人生はあなたのものです。他者の期待や社会の常識よりも、あなた自身の幸せを優先する権利があります。その権利を行使することを、決して恐れてはいけません。
最後に – 同じ苦しみを抱える教師たちへ
今、この文章を読んでいるあなたが、もし同じような苦しみを抱えているなら、一つだけ覚えておいてください。あなたは一人ではありません。
全国の学校で、多くの教師が同じような理不尽と戦っています。そして、その中には必ず、あなたを理解し、支えてくれる人がいます。
希望を捨てず、自分を大切にし、必要であれば勇気を持って環境を変える。それが、この困難な時代を教師として生き抜くための、最も重要な戦略なのかもしれません。
あなたの教師人生が、希望に満ちたものとなることを心から願っています。