職場において、初対面では物腰が柔らかく、誰に対しても丁寧な態度で接する。一見すると協調性があり、周囲との関係も良好に築けているように見える同僚。しかし、ある特定の出来事をきっかけに、まるで別人格が現れたかのように、信じられないほどの攻撃的な態度を取り始める──そんな経験はありませんか?

もしあなたがそのような状況に遭遇したなら、それはまさに、温厚な仮面の下に隠されていた「理不尽大魔王」が、何かの拍子にその牙を剥き出した瞬間かもしれません。私自身、長く身を置いた教員の世界、そして起業してからの短い期間においても、このような二面性を持つ人物に遭遇してきました。だからこそ、この現象は決して特定の職種に限った話ではなく、あらゆる組織で働く人々にとって重要な示唆を含んでいると感じています。

教師の現場における「理不尽大魔王」の出現パターン

特に、教師という専門性の高い集団においては、「理不尽大魔王」への変貌には、ある種、典型的なパターンが見られます。それは──

「指導理念に従わなかった」と勝手に判断されること。

たとえば、最新のテクノロジーを活用した授業を積極的に推進している進取の気性に富んだ学校においても、「長年の経験こそが絶対」「アナログな指導法こそが教育の本質」という強固な信念を持ち、自らの教育方針に頑なに固執しているベテラン教師Aのような人物が存在することがあります。

このようなタイプの人物は、自身の長年の経験や確立した指導法に対する絶対的な自信、あるいは変化への恐れから、少しでも多くの新任教員や若手教員を、あたかも自分の信奉者のように“自分と同じ型”にはめ込み、自己の立場を強化しようとする傾向があります。

そのために、新しく転任してきたばかりの先生や、経験の浅い先生に対して、最初は非常に丁寧に、時には過剰なほどの優しさをもって近づき、「これが長年の経験から導き出された、唯一の正しい指導法だ」「それ以外の方法は、結局は子どものためにならない」と、自身の教育理念をまるで宗教のように熱心に説き続けるのです。

しかし──

本来、教育に携わる心ある先生ほど、固定観念に囚われず、自分の目で見て、様々な情報を収集し、多角的に考え、最終的には子どもたちにとって何が最善なのかを真摯に判断しようとします。客観的なデータや同僚の成功事例から、ICTの活用が教育効果を高める上で有効だと判断すれば、積極的にそれを取り入れていくでしょう。

そんな時、一体何が起こるのでしょうか?

信じられないことに、それまで親切だった同僚の態度が、手のひらを返したように急変するのです。「私の教えを守らなかった」「私の理念を裏切ったな」とばかりに、これまで穏やかだった人物の中に潜んでいた“理不尽大魔王”が、突如として目を覚ますのです。

【事例1】新人教師Bさんのケース

Bさんは、新卒で赴任した中学校で、当初は何かと親切に指導してくれていた先輩教師Cに全幅の信頼を置いていました。Cは「生徒指導は厳しくあるべき」「部活動こそが教育の根幹であり、ICTを活用した授業などは甘えだ」という強い信念を持っており、Bさんにも事あるごとにその考えへの同調を求めました。

しかし、Bさんは学校の方針や教育委員会の指針を尊重し、部活動に過度な時間を費やすのではなく、ICTも積極的に授業に取り入れた、バランスの取れた教育活動を展開していきました。すると、Cの態度は徐々に、しかし確実に変化していったのです。

最初は「最近、挨拶もないよね」「君のクラスの子どもたちが、授業についていけなくて困っているらしいよ」などといった、遠回しな嫌味や、存在を無視するような態度が目立つようになりました。そして、その陰湿な攻撃は次第に他の教員をも巻き込むようになり、Bさんは職場内で孤立感を深めていきました。

精神的な苦痛から、Bさんは夜も眠れないようになり、常に心臓がドキドキするような動悸を感じるようになりました。赴任からわずか3か月後には心療内科を受診し、「適応障害」と診断され、やむなく休職に追い込まれてしまったのです。このような、理不尽な攻撃によって志半ばで教職を離れていく事例は、決して珍しいことではありません。

攻撃の始まり──無視、反論、陰口…

いったん「裏切り者」と認識された標的に対して、豹変したA先生、あるいは事例のCのような「理不尽大魔王」は、以下のような様々な攻撃的な行動に出始めます。

  • あいさつを意図的に無視する: 目を合わせようともせず、まるで存在しないかのように振る舞います。
  • 会議で発言すれば、些細なことでも執拗に反論する: 内容の妥当性ではなく、人格否定のような感情的な言葉で攻撃してくることもあります。
  • 陰で根も葉もない悪い噂を流す: 事実を歪曲したり、全くの嘘を広めたりすることで、標的の社会的評価を貶めようとします。
  • 他の教員に根回しをして標的を孤立させる: 「あの先生は問題がある」「関わらない方がいい」などと吹き込み、周囲を巻き込んで孤立させようとします。

被害者であるこちらには、なぜこのような攻撃を受けるのか、全く心当たりがない場合も少なくありません。それでも、まるで悪夢のような不気味な攻撃は、理由もわからぬまま延々と続いていくのです。

【事例2】特別支援学校のD先生

D先生は、特別支援学校学校に長年勤務している、経験豊富で生徒への対応が非常に丁寧な女性教員です。保護者からの信頼も厚く、周囲の教員からの評価も高い、穏やかな人柄で知られていました。

ところが、ある日突然、同じ分掌の上司であるE主任から、露骨な無視を受けるようになったのです。重要な会議の議題にも事前に共有してもらえず、E主任を含む他の教員との情報共有からも意図的に排除されるような状態が続きました。

D先生が後になってその原因を知ったのは、無視が始まった数週間後のことでした。それは、以前の職員会議で、E主任が強引に推進しようとしていた行事案に対して、D先生がごく穏やかに、「それは保護者の意見ももう少し丁寧に聞いた方がいいかもしれませんね」と、たった一言、自分の意見を述べたことだったのです。

E主任にとって、その一言は自身の権威への挑戦、あるいは推進しようとしていた計画への妨害と受け止められたのでしょう。わずか一言の、至極もっともな意見が、「理不尽大魔王」のスイッチを文字通り入れてしまったのです。

この事例が示すように、何が「理不尽大魔王」のトリガーとなるかは、被害者本人には全く予測できない場合が多く、「空気を読まずに意見を述べたこと」が、信じられないことに「裏切り」とみなされてしまうような、歪んだ職場土壌が存在することがあります。

理不尽大魔王が生まれる職場の構造と心理背景

このような「理不尽大魔王」は、単なる個人の性格的な問題として片付けることはできません。その背景には、往々にして職場の根深い文化や構造が複雑に絡み合っています。

例えば、「年功序列」が絶対的な価値観として存在し、「空気を読むことこそが正義」とされるような職場では、既存の秩序や暗黙のルールと異なる考えを持つ人が、異質な存在として排除されやすくなります。自己の価値や立場を、他者への支配や影響力によって維持しようとする人間にとって、自分の意のままにならない、自由に動く存在は、自身の権威を脅かす潜在的な脅威となるのです。

また、支配欲、他者からの過剰な承認欲求、根深い嫉妬心、自身の立場が脅かされることへの強い不安など、複雑な心理的な動機が絡み合うことで、その理不尽な攻撃行動はさらに加速していきます。

このような歪んだ構造の中で、ある程度の権威を持った「理不尽大魔王」は、巧妙に自分を正当化しながら、周囲を支配し、組織全体の健全性を蝕んでいくのです。

対応策:同じ土俵に上がらない

もしあなたが「理不尽大魔王」の標的にされてしまった場合、最も重要な対応策は、「まともに取り合わないこと」です。

彼らは、論理的な思考や誠実な説明によっては決して納得しません。むしろ、あなたが誠実であろうとすればするほど、その弱点に付け込まれ、さらに強く攻撃される可能性が高いのです。

だからこそ、まずは相手の理不尽な言動を真正面から受け止めず、感情的に反応しないように努めましょう。まるで嵐が過ぎ去るのを待つように、冷静に、事実だけを客観的に記録することが重要です。

可能であれば、誰が見ても客観的な証拠として判断できるよう、具体的な日時、場所、相手の言動、そして周囲の状況などを、時系列に沿って詳細に記録に残してください。なぜなら、彼らの攻撃は、一見すると感情的な爆発のように見えるかもしれませんが、「意図的」かつ「計画的」に行われる場合があり、詳細な記録が、後々、法的あるいは組織的な対応を検討する上で、非常に大きな意味を持つことがあるからです。

周囲ができること──目撃者の責任

もし、あなたが幸いにも被害者ではなく、同僚が「理不尽大魔王」の標的にされているのを傍で見ている立場であるならば──

どうか、「見て見ぬふり」をやめてください。

見て見ぬふりをすることは、加害者に対して暗黙の了解を与えているのと同じです。何も言わない傍観者の存在は、加害者に「自分の行動は許容されている」「味方が増えた」という誤った認識を与え、更なる攻撃のエスカレートを招きかねません。

事態を悪化させないためには、まず事実を冷静に整理し、必要であれば、勇気を持って管理職に相談してください。それが、傷ついている同僚を守り、職場全体の健全性を取り戻すための、唯一にして最も重要な手段です。

ときには、「〇〇先生、最近少し元気がないように見えます」「何かあったのでしょうか」と、さりげなく管理職に伝えるだけでも、状況が変わることがあります。あなたの小さな一言が、誰かの大きな救いになるかもしれないのです。

おわりに──あなたは悪くない

理不尽な「大魔王」に一度目を付けられてしまうと、なぜか被害者であるはずのあなたが、周囲から「何か問題のある人物」として見なされがちです。加害者の巧妙な印象操作によって、いつの間にかこちらが「悪者」にされてしまう──そんな不条理な状況に陥ることがあります。

しかし、それは断じて違います。

あなたが自分の頭で真摯に考え、良心に従って正しく行動しようとしたからこそ、既存の秩序を脅かす存在として敵視されたのです。あなたは、決して間違っていません。

どうか、一人で抱え込まず、孤立しないでください。信頼できる同僚や友人、家族に、辛い気持ちを打ち明けてください。そして、もしどうしても耐えられないほど辛い時には、私がここにいます。あなたの勇気ある行動を、私は心から応援しています。