17年間の教師生活、そして8年間のカウンセラーとしての経験。合わせて25年、私は教育現場の光と闇を見つめ続けてきました。
その中で心を深く痛めたことの1つは、真面目に働く優秀な先生方が、同僚の心ない言葉で潰されていく瞬間でした。何度見ても慣れることはありません。毎回、怒りと悲しみで胸が締め付けられます。
この問題は単なる職場の人間関係のトラブルではありません。日本の教育の根幹を揺るがす、深刻な構造的問題なのです。カウンセリングの現場でも、この問題に苦しむ教師たちと向き合ってきました。彼らの涙を見るたび、思うのです。なぜこんな理不尽がまかり通るのか、と。
25年の経験から、私は確信しています。「真面目」を揶揄し馬鹿にする風潮が蔓延すると、組織は確実に崩壊する、と。
目次
その一言で、また一人の教師が消えました
職員室の片隅で、聞こえるか聞こえないかの声で呟かれた言葉がありました。
「なに、格好つけてんの?」
その瞬間、彼女の表情が変わりました。机の上の資料を見つめたまま、動かなくなったのです。
翌月、彼女の机は空になっていました。
私はこの光景を、何度も見てきました。真面目に働く教師が、同僚の心ない言葉で潰されていく瞬間を。そのたびに思うのです。一体、この職場で何が起きているんだと。
「くそ真面目」という名の暴力
あなたも聞いたことがあるでしょう。
「真面目ちゃんだね」
「意識高いね〜」
「そんなに頑張らなくても…」
という言葉を。
一見、軽いジョークに聞こえます。でも違います。これは確信犯的な攻撃なのです。
言う方は分かっています。その言葉が相手を傷つけることを。そして、自分が「安全な場所」にいることも。教師として当たり前のことをしている人間を標的にして、自分の怠慢を正当化する。これほど卑劣な行為があるでしょうか。
真面目に職務に向き合う教師を見ていると、まるで自分が否定されたような気分になる。だから攻撃する。自分たちの思い通りにならなくなることが怖いから、言葉の暴力で排除しようとする。
彼らの論理は単純です。「俺は傷ついた」から「お前が悪い」へと飛躍し、「だから攻撃していい」で結論づける。職責や教育への責任感など、眼中にありません。
私が見た、崩壊していく現場の真実
ある学校でのことでした。新任の女性教師が、毎日遅くまで授業準備をしていました。子どもたちのために、少しでも良い授業をしようと必死に取り組んでいたのです。
教材研究に時間をかけ、一人ひとりの理解度に合わせた問題を作成する。宿題の添削では、単に丸付けするだけでなく、つまずきのポイントを見つけて個別にコメントを書く。こうした地道な努力が、確実に子どもたちの成長につながっていました。
ところが、それを見た先輩教師が放った一言。「そんなに頑張っちゃって、みんなが迷惑するよ」
この言葉が彼女の心を深く傷つけました。教師として当たり前のことをしているだけなのに、なぜ迷惑扱いされなければならないのか。その後も、職員室では陰湿な嫌がらせが続きました。
「新人のくせに生意気だ」
「空気読めないよね」
「そのうち燃え尽きるから」
こうした言葉の暴力に晒され続け、彼女は次第に意欲を失っていきました。最初は反論していた彼女も、孤立する恐怖に耐えきれず、だんだんと無難な授業に切り替えるようになったのです。
そして3年後、ついに教職を去りました。「教師には向いていない」という言葉を残して。
彼女が去った後、その学年の学力は目に見えて下がりました。テストの平均点は10点以上低下し、学習意欲も明らかに減退しました。当然の結果です。真面目に取り組む人間がいなくなれば、組織は確実に劣化していくのですから。
残った教師たちは言いました。「やっぱり続かなかったね」「最初から分かってた」と。しかし、彼らは決して認めようとしません。自分たちが優秀な教師を追い出したという事実を。
これが「真面目」を排除した結果です。一時的に「楽」になったかもしれませんが、その代償は計り知れません。子どもたちの学習機会を奪い、学校全体の教育力を低下させる。こんな愚かなことがあるでしょうか。
さらに恐ろしいのは、この悪循環が止まらないことです。真面目な教師が去った後、その穴を埋めるのは同じような怠慢な教師です。こうして、学校は徐々に腐敗していくのです。
攻撃者たちの醜い心理構造
では、なぜ彼らは「真面目」を執拗に攻撃するのでしょうか。
その根底にあるのは、深い怖れと悲しみです。自分たちの怠慢が露呈することへの恐怖。真面目な同僚の存在によって、自分の至らなさが際立ってしまうことへの恐れ。
だから攻撃するのです。相手を引きずり下ろすことで、自分たちの位置を相対的に上げようとする。実に醜い心理です。
私は長年、こうした人間たちを観察してきました。彼らには共通する特徴があります。
まず、自己正当化の天才だということです。どんな理不尽な行為も、もっともらしい理由をつけて正当化します。
「チームワークを乱している」
「協調性がない」
「職場の雰囲気を悪くしている」
全て嘘です。真実は、自分の怠慢を隠したいだけなのです。
次に、集団心理を巧みに利用することです。一対一では決して正面切って攻撃しません。必ず味方を作り、数の力で圧倒しようとします。職員室の片隅でコソコソと悪口を言い、同調者を増やしていく。実に卑劣な手法です。
そして、権力構造を理解していることです。管理職が事なかれ主義であることを知っているからこそ、大胆に攻撃できるのです。「どうせ何も言われない」「波風を立てたくないから見て見ぬふりをする」。そんな甘い計算があるからこそ、平気で同僚を傷つけることができるのです。
しかし、彼らが忘れているのは、教師という職業の本質です。私たちは子どもたちの未来に責任を負っている。その重みを理解していれば、同僚を攻撃するなど考えられないはずです。
彼らの行為は、単なる職場いじめではありません。子どもたちの教育を受ける権利を侵害する、許しがたい背信行為なのです。
「そうですが、何か?」の絶大な効果
でも、全てが絶望的ではありません。私は一つの解決法を見つけました。
それは、堂々と反論することです。
「真面目ですけど、何か問題でもございますか?」
たったこれだけの言葉に、驚くべき力があります。攻撃してきた相手は、まさか反論されるとは思っていません。用意していた次の攻撃の言葉が出てこなくなるのです。
そして周りの空気も変わります。今まで黙って耐えていた他の教師たちが、「そういう反応もありなんだ」と気づき始める。傍観者だった同僚たちの意識が変わっていくのです。
ただし、必ず他の教職員がいる場所で発言してください。証人がいることで、話の内容が歪曲されることを防げますし、職場全体の意識改革にもつながります。
沈黙が生む更なる悲劇
この問題を放置すれば、どうなるでしょうか。真面目な教師が次々と現場を去り、残るのは職責を軽視する者たちばかり。そんな学校で学ぶ子どもたちの未来を想像してみてください。
私は実際に見てきました。優秀な教師が去った後の荒廃した教室を。授業準備を怠り、子どもたちと真剣に向き合おうとしない教師たちが支配する学校を。その結果、学力は低下し、子どもたちの心も荒んでいく。
これは単なる職場の人間関係の問題ではありません。日本の教育そのものの危機なのです。
管理職の責任放棄と制度の闇
さらに深刻なのは、管理職の多くがこの問題を見て見ぬふりをしていることです。「波風を立てたくない」「面倒事は避けたい」という保身の気持ちが、問題の根本的解決を妨げています。
真面目な教師が苦しんでいても、「みんなで仲良く」という偽善的な言葉で済ませようとする。これほど無責任なことがあるでしょうか。
私が実際に見た例があります。ある学校で、真面目な教師が同僚からの執拗ないじめを校長に相談しました。その校長の返答は「お互い大人なんだから、話し合って解決してください」でした。
話し合いで解決できるなら、最初から問題になっていません。一方的に攻撃する側と、ひたすら耐える側。この構造的な問題を理解せず、責任を個人に押し付ける。これが現在の管理職の実態です。
さらに悪質なのは、問題を報告した真面目な教師の方を「協調性がない」と評価することです。加害者を庇い、被害者を非難する。この倒錯した構造が、問題をより深刻化させています。
管理職自身も、実は同じ穴のムジナであることが多いのです。自分も楽をしたい。面倒な問題には関わりたくない。だから、現状維持を望む怠慢な教師たちと利害が一致するのです。
こうして、学校という組織全体が腐敗していくのです。真面目な教師は孤立し、怠慢な教師が幅を利かせる。子どもたちにとって、これほど不幸なことはありません。
現在の教育制度には、根本的な欠陥があります。数年で異動してしまうため、長期的な視点での組織運営ができない。問題のある教師も、しばらく我慢すれば異動してしまう。だから、根本的な解決よりも先送りが選ばれるのです。
この制度が、問題教師を野放しにする温床となっています。彼らは自分が「この学校の主」であるかのように振る舞い、新しく来た真面目な教師を排除しようとする。そして周囲は見て見ぬふりをする。
変革への具体的戦略と実践方法
では、どうすれば現状を変えられるのでしょうか。
まず、あなた自身が変わることです。理不尽な攻撃を受けても、毅然とした態度で応じる。「真面目ですけど、何か問題でもございますか?」この一言を、恥じることなく発してください。
私は実際に、この方法で状況を変えた教師を何人も見てきました。ある男性教師は、同僚から「意識高い系だね」と揶揄され続けていました。最初は苦笑いでごまかしていた彼でしたが、ある日ついに言い返したのです。
「意識が高くて何が悪いんですか?子どもたちのために頑張るのは教師として当然でしょう」
その瞬間、職員室の空気が変わりました。攻撃していた教師は言葉を失い、周りの教師たちも彼の毅然とした態度に感銘を受けたのです。
次に、同じ想いを持つ仲間を見つけることです。一人では限界があります。しかし、志を同じくする教師が複数いれば、状況は一変します。問題教師たちも、複数の相手には簡単に手を出せなくなるのです。
仲間を見つける方法は意外と簡単です。職員室で真面目に働いている教師を観察してください。遅くまで残って授業準備をしている人、子どもたちのことを真剣に考えている人。そうした人に、勇気を出して声をかけてみてください。
「いつもお疲れ様です。私も同じような想いで仕事をしています」
この一言から、強い連帯が生まれることがあります。
そして、記録を残すことです。いつ、誰が、どのような言動をしたのか。客観的な記録があれば、問題を上層部に報告する際の有力な証拠となります。
録音は法的にグレーゾーンですが、日記形式での記録なら全く問題ありません。日時、場所、発言内容、周囲の状況を詳細に記録してください。これが後々、あなたを守る武器になります。
さらに重要なのは、連携です。教育委員会、教職員組合、場合によっては弁護士との相談も視野に入れてください。学校内だけでは解決できない問題も、外部の力を借りることで解決の糸口が見えることがあります。
子どもたちのために戦う意義
私たちが戦う理由は、自分のためだけではありません。何より、子どもたちのためなのです。
真面目に取り組む教師がいる学校と、そうでない学校。どちらで学びたいか、答えは明白です。子どもたちは敏感です。教師の姿勢を肌で感じ取ります。
職責を軽視し、同僚を攻撃するような教師に囲まれて育った子どもたちが、どのような大人になるでしょうか。考えるだけで恐ろしくなります。
だからこそ、私たちは戦わなければならないのです。子どもたちの未来のために。
真面目であることの誇り
最後に、もう一度お伝えします。
あなたの「真面目さ」は、決して恥じるべきものではありません。それは誇るべき資質なのです。
職責を全うし、子どもたちのために最善を尽くそうとする姿勢。これこそが、教師として最も大切なものです。それを「格好つけ」だの「意識高い系」だのと揶揄する者たちの方が、明らかに間違っています。
当たり前のことを当たり前にやる。シンプルですが、これほど尊いことはありません。
変革は既に始まっている
私の周りでも、変化の兆しが見えています。真面目な教師たちが声を上げ始めています。理不尽な攻撃に屈することなく、堂々と職務に向き合う教師が増えています。
この流れを止めてはいけません。一人ひとりの小さな勇気が集まれば、必ず職場は変わります。そして、それは子どもたちの教育環境の改善に直結するのです。
悪いものは悪い。良いものは良い。この基本的な価値観を、職場で堂々と主張してください。
あなたの「真面目」は武器です。それは腐敗した教育現場を浄化し、子どもたちの未来を明るくする力を秘めた、最強の武器なのです。
今こそ立ち上がる時です。偽善と怠慢に支配された職場から、真の教育を取り戻すために。