こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。
セッションをしていて最も辛いのは、理不尽に攻撃されて精神的にボロボロになった先生方が、「でも、私が悪いから仕方ないんです」とおっしゃることです。
背景には、その方の実直さがあります。しかし、このような先生方に私が伝えたいことは一つ。「あなたは、あなたを一番大切にしてください」ということです。
自分の最高・最強の味方は、他の誰でもありません。自分です。辛い時、苦しい時、嬉しい時、楽しい時、あなたのそばに居続けるのは自分。その自分を労り、自身の持ち味を更に発揮していただきたいと思います。
目次
選択権を行使することで流れを変える
実直な先生の思考の癖の一つは、「原因と結果の法則」に忠実だということです。
それは、「今ある結果は、全て過去の積み重ねが原因である」というものです。
しかし、この考えを全てに適用すると苦しくなります。
考え方を少し掘り下げると、新たな道が見えて来るように思います。そこでキーワードになるのは「選択権」です。
以下に、実直な先生が攻撃された際に陥る心情を整理します。その上で、理不尽な圧力に屈しないしなやかさを持つために必要な「選択権」を中心にして、一つの働き方を提案したいと思います。
結果で自分を責めてしまう
真面目で頑張り屋の先生は、相対的にかなり貢献しているにもかかわらず、少しのミス等でも自分を責めてしまいます。これを「完璧主義」と捉える見方は多いです。
しかし、私は別の側面からも見る必要があるのではないかと考えます。それは、「結果を自分で全て背負う」傾向が強いということです。
悪い結果についてもそうです。さらに、理不尽に攻撃をされても自分で責任を感じてしまう面が強い方々がいらっしゃいます。
例えば、学級崩壊している学級を持った先生について。一年間、生徒との信頼関係を築き、じっくり指導をしていたとします。しかし、日々、トラブルは起きます。それに対して、安全な位置から、「しっかり指導してくださいよ」、「目が行き届いていないんではないですか」などと、言ってくる同僚がいます。
・表面ばかりを見て、言いたいことを言う。
・自身は担任ではないから、安全地帯からものを言う。
・生徒は担任だけではなく、全教員が責任を持って指導に当たるということすら考えられずに、ストレスをぶつける。
パッと思い浮かぶだけでも、このような理不尽さが見えてくるわけです。しかも、このようなことを言う教師は、必ず相手を選びます。反論しない、おとなしい相手に対して高圧的にストレスをぶつけるのです。
このようなことが日々続くと、真面目な先生は、不満を抱きつつも「私がもっとしっかりしないと・・・」、、「まだできる。まだ、足りない」と自分を追い詰めてしまいます。
それでも、
「いやいや、先生、既にあなたは生徒と向き合い、当たり前のことを当たり前(以上)にこなし、職責を果たしています!」
「自分では何もせずに、個人的なストレス、モヤモヤをぶつけてくる理不尽な相手は無視してください!」
「あなたは間違っていない!」
と言ってくれる同僚がいれば、何とかなります。
しかし、傍観者だったり、事態に気付かない同僚が多いのもまた、事実です。皆が何かに追い立てられているという面もあるのでしょう。
何もかも「因果」で片付けることはできない
「原因と結果の法則」は、結果の責任を自身で負い、足りなかった点を振り返り今後に生かすために有効です。しかも、非常にシンプルで理解しやすいものになっています。
しかし、ここで考えなければいけないのは、「結果」とは何を指すのか、ということです。私は、不可抗力的なことや、理不尽な圧力を受けているという事実は「結果」ではなく、付帯事項であると考えます。
そうでなければ、なぜ、何の罪もない幼児が虐待を受けるのでしょうか?なぜ、普通に慎ましく生きている人が、時に理不尽な飲酒運転等の車に突っ込まれる等の事故に巻き込まれるのでしょうか?
その「虐待」、「事故」というのが、本人に原因があるとしたら・・・
虐待する素地のある者が近くに「いた」という原因であり、事故を起こす状態の者が運転する車の近くを歩いて「いた」という原因になるわけです。
このようなことが、人生の「因果」として片付けられてしまったら、それは到底納得のいくものではありません。
責任は、虐待を受けた幼児や、事故に遭った人にあるわけではありません。あくまでも虐待に及んだ者、飲酒をして車を運手した者にあるわけです。
同様に、学級崩壊していた学級の担任となった先生に、指導をしていく責任はありますが、それは教師としての職責を果たすという意味の責任です。また、全教職員が関われる範囲で、その学級への指導責任を負います。
よって、日々のトラブルの責任全てが一人の教師にのしかかることはありません。そもそも、児童生徒が起こすトラブルに対して、全責任を一人に負わせようとするその行為があり得ないものではないでしょうか。
あくまでも、そのような状態にある生徒たちを「どのように」指導し、どの方向に向かわせるかを話し合い、実際に指導していくのかが、この場合の責任であるように思います。
理不尽な「結果=付帯事項」に対しては「選択権」の行使を
理不尽な圧力によって、不愉快な心情、不利益な状態になったら、「選択権」を行使してください。その「選択権」とは、誰もが持っているものです。具体的には、「自分を労わる」ということです。
そのような状況に陥った根本的な原因は、あなたにはありません。よって、まずやるべきことは「自分を守ること」です。
相手に仕返しをする必要はありません。ただ、無視を決め込んでください。それは、無言のうちに「あなたのやっているような卑劣な行為には屈しない」という意思を示すことになります。
言葉にすると、逆上してくることもあるでしょうからね。自分が理不尽なことをしている者は、反応も理不尽です。非難されて仕方ないにもかかわらず、その非難を受け入れることはできないのです。
だから、「自分を労わる」ことに専念してください。相手の言動によって生じたマイナスの感情を選ぶのではなく、あくまでも自分中心になることを選ぶのです。
ここでいう自分中心というのは、わがままではありません。自分の基本的な人権を守るという当然の選択をするということです。この選択は、絶大な効果を発揮します。
あなたが、理不尽な圧力に屈しないということはもちろんですが、あなたが接する生徒たちにとっても効果があるのです。
どういうことかというと、あなたのような先生に指導してもらう生徒は、幸せです。進むべき方向を示してもらい、荒れの中から脱するヒントをもらえるわけですから。
また、あなたの指導を見た同僚の中にも、あなたに続く人が出てきます。そして、組織は正しい方向へと動いていくのです。あなたが「自分を労わる」という選択権を行使することで、組織全体に好影響が出ます。教師としての職責を果たすあなたは、それだけの力があるのです。
自分という味方を大切に
人間は常に誰かと一緒にいるわけではありません。近くに誰かがいたとしても、無関心により孤独な闘いが続くことがあります。それでも、大丈夫です。自分を労り、自分を大切にすることができれば、必ず打開策は見えてきます。しばらく休職することも打開策の一つです。
自分自身が自分にとっての最高の味方です。その味方である自分を最も大切にするためにも、自分を労り、良い意味の自己中心的な言動をとってください。
いかなる時にも自分の近くにいて自分を支えるのは自分です。そのことに改めて思いを馳せると、自分のことが愛しくなるのではないでしょうか。
日々、当たり前のことを当たり前に行い、教育実践を積み重ねていく先生方、あなたには最高・最強の味方がいます。味方である自分を労り、さらに現場で御活躍されることを願っています。