皆さん、こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。

今回は、判断の結果に後悔した時に有効な考え方について、一案を提案したいと思います。

人間は1日に6万回程度思考し、1万回程度の判断(決断)をしているとのデータがあります(回数は諸説あります)。

1万回のうち、教師としての指導の判断は5割を超えるのではないでしょうか。

うまくいかなければ後悔が残る

判断が大きなもので、その結果が意に反するものであった場合、後悔することもあります。自然なことです。その後悔を引きずるのかどうか。また、そもそも後悔しないのかによって、その後の状況は変わってきます。
今回は、セルフコーチングにもつながる考え方を共有していきたいと思います。

相手の反応で感情が沸く

教師という職業も、日々選択の連続です。

そして人間相手の職業である限り、相手の反応がついてきます。

その反応が肯定的なものであれば嬉しいですし、否定的・攻撃的なものであれば哀しみや怒りの感情が沸きます。、

幼児児童生徒相手であれ、同僚相手あれ、保護者相手であれ同様でしょう。

この感情の振幅が負の方向に揺れてしまうと、自身の選択に後悔をしてしまうことがあります。

  • 「ああ、やっぱり、やめておけばよかった」
  • 「最初は、もう一つの方法で行こうとしていたのに」
  • 「ああ、あれをやればこんなことにはならなっかたのに」

この後悔の内容は正しいのでしょうか?下記で見ていきたいと思います。

なお、今回は、幼児児童生徒への指導に関する判断を例に挙げます。

「やっていないことは分からないという」事実

Aという指導方法でうまくいかなかった場合、迷ったBという指導法をやっておけばよかった、などと思うことがしばしばあります。

例えば、LHRで生徒の話し合いが紛糾している時に、「介入して、案を示した(A)」ところ生徒がやる気をなくしてしまったとします。

すると、「ああ、やっぱり最後まで任せておけばよかった・・・(B)」という後悔が生じるという状況です。

しかし、冷静に考えてみると・・・

Bという指導方法は実際にはやっていないので、どうなるかは分かりません。もしかしたら、Aよりもひどい状況を招いたかもしれません。

Aという選択で生じた紛糾は、生じうる最小の紛糾だったのかもしれません。

不登校の生徒宅に家庭訪問にいったとします(A)。すると、保護者に怒鳴られてしまった・・・。

「もう来ないでください!」と。

私もあったな・・・。

ここで、悲しむのは自然なことです。また、後悔することもあるでしょう。

しかし、もし、家庭訪問を実施せず(B)に数カ月過ぎたとしたら、保護者から「学校は何もしてくれない!」と抗議の電話が入るかもしれません。

そして、生徒も、「誰も自分に関心がないんだ」と考え、その後学校に登校することなく卒業までを過ごすかもしれません。高校であるならば、卒業資格が得られなくなります。

やっていないことは、どのような結果を招くかどうかは分からないのです。

どうするか

よって、指導の結果、否定的・攻撃的な反応が返ってきた際にすべきことは後悔ではなく・・・

その後、できることを考えることです。

「否定的・攻撃的な反応」という過去の事実は変えられません。しかし、それを受けての自分自身の言動は選択自由なわけです。

判断は一日数万回ですから・・・^^

落ち込んで何もせずに過ごすのも判断、感情的になるのも判断、冷静に反応を受け止めるのも判断・・・です。

そして、次にできることを考えて手を打つことも判断なのです。

これは、プラス思考とは違います。

「私はマイナス思考だから」と落ち込む先生、大丈夫です!

プラス思考、マイナス思考は関係ありません。

結局は、教師の職責として、できることを教育活動全体で地道に重ねるということにフォーカスすることです。

公共の交通機関の運転士が、「イライラしたから運転はやめよう」となったら、、困りますね。

むしゃくしゃしながらも、運転してくださっているからこそ、日本社会は動いています。

これと同じで、粛々と手を変え品を変え、工夫して授業をして、生徒指導をすること・・・それこそが教師の仕事です。

特別なことをするのではなく、「Aでうまくいかなかったから、Cをやってみよう」と試行錯誤を重ねていきましょう。

一喜一憂しない

これらのことをまとめてみると、「一喜一憂しない」ということです。

ちなみに、教師として感情を排すということではありません。

例を示します。

例えば、【高校スポーツにおけるガッツポーズ】問題。

賛否両論がありますね。多くの議論では、対戦相手への配慮が論点になります。

「相手を侮辱する行為である」という考えのもと反対・自粛する立場があり、「感情を素直に表現して何が悪いのか」と賛成・容認する立場に別れます。

しかし、もう一歩進んだ見方をする指導者もいます。

野球で言えば、ヒットを打って味方ベンチや客席に向かってガッツポーズをすると、ボールの行方から目をそらすことになります。すると、もしエラーをしていて進塁のチャンスがあってもそれを逃してしまう恐れがあるのです。

これは、プレーヤーとしてあってはならないことです。

その点を指導する部活動指導者がいます。この姿勢は、他にも応用できます。

指導者の立場からすれば、生徒の反応に一喜一憂し過ぎたら、過度に不安になり自信を失うことになりかねません。

また、過度に喜びすぎ過信を招き、勘違いをして次回大きなミスを犯すこともないとは言えません。

教育は長期戦です。喜怒哀楽の感情は、反応に対して出しすぎないようにすることがベターだと思います。

ただ、指導とは別に、目標達成時に児童生徒と共に喜んだり、学校内で悲しい出来事があれば悲しむことはあって当然のことです。

起きていないことは、どうなったのか分からない。だから、結果に対してできることを考えて行動する。

これを言い換えると「いちいち一喜一憂しない」ということになると、私は考えています。

まとめ

負の感情は、大きな疲労感を伴います。それを引きずってしまうと、教師として動きに支障がでてきます。

日々の判断結果に伴う感情をできるだけ抑える。そして、職責を果たすことに集中する。そして、淡々と実践を積み重ねる。

自分ができること、やるべきことにフォーカスすること。それが、自分自身を自分でコントロールできる範囲だと思います。歩みは続いていくものです。焦らずに着実にいきましょう!

心が揺れがちで疲労が溜まっている先生、ぜひ参考にしてみてください。

自身の判断を後悔しがちな先生。一緒に御自身を認めてみませんか

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