こんばんは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。5月も下旬を迎え、気温が高くなりました。各地の小中学校では運動会が開催されているようですね。平日の朝、近所の小中学校を通ると、勤務時間前からグラウンドに運動会練習のラインを引く先生方の姿があります。これって時間外・・・?

教育を全て理屈で割り切るなら、もう「人」は必要ない。しかし、そんなことはあり得ない

勤務時間、労働者という理屈のみで、学校教育を割り切るのなら、もうインターネットアプリやビデオ動画に任せればよい。実際、受験アプリの開発も盛んです。しかし、人の成長には人との関りが不可欠である。理屈では割り切れない事例を挙げて、教師という「人間」が必要な理由について述べていきます。

ラインを引くのって強制?

冒頭のラインを引く先生方の件。この先生方は渋々やっているのでしょうか。日本全国の運動会担当教師にアンケートを取ったわけではありませんが、おそらく、渋々の人は少ないでしょう。特に、1年目の教師にしてみれば、「血が騒ぐ」ぐらいの気持ちになっているものも少なくありません。言葉を変えるならば、「腕の見せ所」といったところです。教師の指導力は、児童生徒への対面指導のみではありません。

事前準備も教師に求められる指導力である

児童生徒が整列しやすいように、行進しやすいように、競技しやすいように考えてラインは引かれます。その準備ができるのも、中高であれば体育科教師、小学校であれば体育科の免許を持っている教師、またはスポーツの指導力に長けた教師の専門性です。その指導力を発揮するために教師になったのです。その指導力で子どもたちの能力を高めたいから教師になったわけです。したがって、教師になりたててあればあるほど、朝の時間外の準備を「強制だ」とマイナスに捉える教師は少ないのです。私自身も、30代の中堅教師が誇りを持って、他の教師が見えないところで休憩時間や放課後も使って体育祭の準備をするのを見てきました。

「迷惑だ」という意見は保護者と管理職にどうぞ

そのような教師に対して、「時間外労働をされると迷惑だ」と陰口をたたく教師がいるのも事実です。陰口ではなく、保護者と管理職に直接言えば良いと思います。そして、判断を仰ぐべきではないでしょうか。「子どもたちのためよりも、私たちの労働時間が大事です」と。時間外に準備をする教師は、陰口をたたく教師に手伝ってほしいとは微塵も思っていないので、静かにしていればよいもです。

休んでもらえばよい

自身の保身ではなく、時間外で準備をする先生方のことを本当に考える職場であれば、他の場面で休んでもらえるようにするはずです。生徒下校後に研修会の準備を全教職員ですることになっていれば、朝準備をした体育科の先生方には休んでもらうという配慮などです。しかし、大体、「休んでいいですよ」と伝えても休まずに準備をしてくれるのですが。重要なのは、休むかどうかよりも、お互いの配慮の問題なのです。その気遣いがあれば、ちょっとした時間外労働など、本人が問題視しない限り周りがどうこう言うことではありません。

低賃金?

「終わりなき労働を低賃金でさせられる教育現場」という記事等を目にします。長時間の残業をしている先生方は抜きにして、言わせてもらいたいと思います。「本当に教師は低賃金だろうか?他の職種の現実を知っているのか?」、「教師がいかに恵まれているか」、「生徒指導も行わずに17時ダッシュで余暇を優先させようが、深夜1時、2時まで残る教師よりも高い給与、安定した給与がもらえても、低賃金などと言えるのか?」、「自分が社会に有益な仕事をしているか、胸を張って言えるのか」という問題です。「時間外」という理屈を付けて問題視する前に、自身の仕事量、仕事内容を同僚と社会の他の職種と比べる視野を持つべきではないでしょうか。

補習も同様

教室に入ることができず、不登校気味な生徒が、「一人なら授業を受けてみたい」と言ったケースを考えてみます。この場合も、「無理だね。時間外だから」と言うのでしょうか。「私、補習やってもいいですよ」という教師に向かって、「余計なことするな」と言うのでしょうか。児童生徒のために自然と、「やります」というのが教師ではないのでしょうか。なにも、2時間も3時間もやるのが良い、と言っているのではありません。朝の20分、日替わりでやるだけでも良いではないでしょうか。その中で、教師も成長していくのです。

「子どものために」は教師を苦しめる?

長時間労働が問題視されている昨今、「『子どものために』という常套句が教師を追い詰める」という声を聞きます。もし、これが教職員全員が長時間労働に苦しんでいる中、管理職の一方的な職務命令として言われるのであれば問題です。しかし、朝、数十分の体育祭準備や補習、放課後の部活動指導に対して言われるのであれば残念でなりません。確かに、教師は労働者です。給与をもらって、自身が生活することが第一義であっても良いはずです。しかし、教育基本法 第1条を思い出してほしいのです。

人格の完成のために

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と第1条にあります。これは、「目の前の幼児(、児童、生徒)のために」という思いがなければ、まず取り組もうという姿勢すら持つことはできない内容です。「子どものために」という考え方は基本的なことです。その考え方が教師を苦しめるのではなく、その職場の在り方自体に問題がある場合、教師が苦しくなり、子どものことが見えなくなるのです。

理屈を超えて働くのが人間

朝の時間外のライン引きはAIに任せれば良いのでしょうか。それでは、教師の成長はありません。走路の危険箇所などの把握や、グラウンドコンデイションの把握などは指導する教師の目が必要です。不登校の児童生徒は、家庭でアプリで勉強すれば良いのでしょうか。それも違います。本人が時間外であれ、登校を望むのであれば、教師が対応すべきです。人は人の関係で人になっていくのです。教師との関りの中で、児童(生徒)の心情に変化が芽生え、登校につながることもあります。たとえ、登校につながらなかったとしても、その後の変化につながることもあります。理屈を超えて働くのが人間であり、それが人たる所以です。教育を担うのは「人」です。「教育は人なり」、「教育は教師で決まる」のです。

まとめ

1日数十分から1時間程度の時間外労働を、負担なく全員で協力していく職場が望まれます。当然、時間外労働を強制するのはいけません。物理的に余裕があるのであれば、勤務時間過ぎてから、やるべきことを少々やってみるのは悪くないと思うのです。