こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。先日、「白い巨塔」というドラマを久しぶりに見直していると、気付いたことがあります。それは、医療界も教育界も、葛藤する人々が存在し、それぞれに正義があるということです。そこで考えたことについて書きたいと思います。教師の在り方について・・・。

全てが一つの方法でうまくいくことはない

幼児、児童、生徒は様々な成育歴を持ち、その結果様々な価値観を持っています。現代の多様な価値が渦巻く社会情勢も、教育界に影響を及ぼしています。したがって、一つの価値観、指導法で万事がうまくいくことはあり得ません。その辺りを説明した後で、教師集団に必要となる考えを述べたいと思います。

誰かを救えば、誰かが救われない?

「白い巨塔」では、正義感あふれる医師里見が、腕は確かだが野心あふれる財前と対峙して次のようなセリフを吐きます。
それは、「君が割り切ることで医者であり続けるなら、俺は悩むという一点で医者でいられるのかもしれん。」というものです。

「末期のがん患者を国立の大学病院に入院させ続けるのは、ベッドが空くのを待っている患者のためにならない」という財前と、「末期の患者であっても、大学病院として取り組むことがあるのではないか」と模索する里見、の構造です。財前は、一見非人道的に映るかもしれませんが、的を射ている面もあります。

一方、里見は人道的な医師であるのは間違いないのですが、入院の必要がある患者に辛い思いをさせている、という面もあります。

命にかかわることなので、結論は簡単に出せません。私は、この場面で、「これって・・・」と思ったのです。そうです。学校で先生方が直面する問題です。特に、小中学校の先生方は、直面することが多いのではないでしょうか。

それは、「40人の誰に合わせて授業をするか」という問題です。理解するまでに時間のかかる児童・生徒に合わせると、落ちこぼれは出ないかもしれません。しかし、理解の早い生徒は手持無沙汰になります。

逆に、理解の早い児童・生徒に合わせると、その生徒たちの知的好奇心は満たされるかもしれませんが、理解に時間のかかる児童・生徒たちは置いてけぼりになります。そうであるならば、中位に合わせれば良いのか?標準的な理解力の児童・生徒に合わせても、他の生徒が満足できるかは分からないのです。

したがって、授業の中で、理解度に応じたプリントを準備したりして、先に進む児童・生徒に配慮したりします。また、課題の内容を分けて、理解が遅い児童・生徒に配慮したりします。先生方の工夫、教材準備には終わりがないのです。

このような現実を社会は知るべきです。その上で、「教師批評」をしましょう。意味不明なクレームは、子どもたちのために授業準備をする教師を苦しめ、子どもたちの未来を奪うことでもあるのです。

話を戻します。授業の展開をどこに合わせるかで苦しみ、授業後に「あの授業だと、〇君は分かっていなかったなぁ。次はどうしようか」と悩むのが里見派です。

一方、「全児童(生徒)に分かる授業をするのは根本的に不可能。だから、より多くの児童(生徒)に分かる授業をすることが大事だ。授業内で分からないのであれば、後で聞きに来れば良い」と考えるのが財前派です。

どちらも一理あります。したがって、どちらが正解ということはありません。日々、子どもを見て教育実践をしている先生方であれば、この2つの価値観の対立の構造はよくお分かりになると思います。

チームで対応する

この問題に答えを出すのは不可能かもしれません。しかし、最善の答えは出さないといけません。答えの一つが、チームで対応するということです。どちらの価値観の先生であっても、全ての児童・生徒を等しく伸ばすことはできません。

そうであるならば、分かっていない児童・生徒をサポートする教師が必要になるのです。多くの学校でT-Tが取り入れらえています。T-Tを充実させていくことが問題の改善につながります。ただ、教師の持ち時数の問題もあり、難しい面もあります。そこで、退職した元教師や、教師志望の学生、保護者の力を借りるのです。

小中学校は地域に支えられています。授業も支えてもらってはどうでしょうか。実際に、保護者が授業に入っている自治体も既に存在します。運営面での難しさはありますが、まずは児童・生徒のことを考えるのが先決だと思います。学校で抱え込まずに、家庭、地域と手を取り合うということが、教師集団の考えに根付いていけばと思います。

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