こんばんは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。今日も、インターネット上で「教師の世界はブラックだ」という表現を目にしました。私の現職時代も、何度も耳にしてきた言葉です。

これまで、ノウハウ的なことを継続して書いてきたので、今日は、少々、現代の教育問題の核心部分に迫ってみたいと思います。

使われている現状把握から、核心に迫る

まずは、社会での使われ方を明らかにして、それがどのように教育現場に用いられるようになったのかを整理します。そして、「ブラック」という言葉が教育現場で定着したことで起きている現象を述べます。

なお、このテーマは重要ですので複数回に渡って述べたいと思います。今回は、現象まで・・・。そして、1点だけ、留意すべきことを述べたいと思います。今後の働き方の参考にしていただければと思います。

社会での用いられ方

皆さんもご存じのように、「ブラック企業」という使われ方が始まりだと思います。従業員に過度のノルマや残業を強いたり、正当な残業代を支払わない企業に対して用いられています。

政府が進めた構造改革により、非正規労働の問題、のパワハラ問題、過労死の問題が深刻化してきた頃から、この言葉をよく目にするようになりました。

学校で使われるようになった背景

近年、急速に、「ブラック部活」という言葉が広がりました。教師から見れば、休日も部活動の指導で休めない、生徒から見れば、強制入部や過度の練習を強いられたりすることが問題視されてのことでしょう。

また、部活動に限らず、膨大な事務作業等による長時間労働の状況も「ブラック」と称されることがあります。

「ブラック」は何をもたらしたか

長時間の労働に対して、「NO」を言いやすくなったのは事実でしょう。顕著な例として、「部活動が教師の長時間労働を招いているからけしからん」という声が頻繁に叫ばれています。

学習指導要領上の定義が曖昧だ、としてやり玉に上げられています。それを受けて、部活顧問拒否運動も起きています。

確かに、無理やり顧問を押し付けられたり休日出勤を重ねて、休みがとれない先生方からしてみれば「ブラック」以外の何物でもないでしょう。しかし、部活動顧問を「やりたくない」という理由で、顧問拒否をする人々はどうでしょうか?

その方たちは、他の職務はきちんと遂行しているのでしょうか?例えば、長期休業中の補習が予定されているならば、積極的とはいかないまでも、人並みに講座を担当しているでしょうか?まさか、「私は忙しいから」と逃げてはいないでしょうね・・・。

どうでしょうか。部活動顧問をやってもいない、また、週に数回しかやっていないにも関わらず拒否をする人間に欠けているもの、それは、「しっかりとやっている人間への気遣い」です。

もし、純粋に部活動の在り方が問題で許せないと言うなら、それはそれで良いと思います。間違ってはいないです。一つの考え方でしょう。

しかし、その際、自分が職務として認めているものに関しては、休みなく顧問をやっている先生方の負担を減らすべく、多めに担当するとか労いの言葉をかけることが必要です。これは、教師としてではなく、社会人として、人間としてのマナーです。

「ブラック部活」を始め、「ブラック」という言葉が教育現場で常態化したことでもたらされた現象は、「権利の主張の横行」なのです。

権利の行使には義務を果たすことが必要であるにも関わらず、それが忘れ去られて、「ブーム」として権利者意識が横行している職場もあるのではないでしょうか。

重要な視点は・・・

このような状況下で重要なのは、若い先生方の捉え方です。「部活動が長時間労働の元凶だ」と言う同僚と向き合った時、職場でどの程度の教員が部活動が原因で長時間労働の状況に置かれているのか、また、声高に叫んでいるその相手が義務を果たしているのかどうかを見てください。

そして、何より、児童、生徒を中心にした議論がなされているかどうかを見極めてください。そうすることで、問題の本質が見えてきます。

今回はここまでにします。次回からは、各論を述べていきたいと思います。