「先生の言うことなんて古い」
「あいつマジでダサくね?」
教室に響く冷笑的な声。授業中の挑発的な態度。仲間内での他者への攻撃。中学校の現場では、生徒たちのマウント行動が日常化しています。
注意しても反発される。指導すればするほど、かえって態度が硬化する。叱責すれば、さらに防御を固める。多くの先生方が、この悪循環に頭を悩ませているのではないでしょうか。
しかし、彼らのマウント行動の裏には、「自分の居場所はどこにあるのか」という切実な問いが隠れています。思春期特有の不安定さの中で、彼らは必死にもがいているのです。本稿では、そんな生徒たちの心に届く、4つの実践的な介入技術をお伝えします。
目次
1. 集団の中で「見栄」を張る生徒の心の声を聞く
多感な思春期の生徒たちと向き合う日々、本当にお疲れ様です。
小学校時代とは明らかに異なり、中学校では友人関係が複雑化します。生徒たちは「グループ内での序列」や「仲間内でのポジション」を過剰に意識するようになります。その結果、「あいつはダサい」「俺の方が知っている」といった排他的で攻撃的なマウント行動が目立ち始めるのです。
これは、不安定な自己アイデンティティを持つ彼らが、集団の中で確固たる「居場所」と「自分らしさ」を見つけようともがいている証拠です。彼らは「弱い自分」を見透かされないよう、「強い自分」を演じることで必死に自己を防衛しています。虚勢を張る背景には、深い不安と承認欲求が隠れているのです。
朝のホームルームで、ある生徒が「先生の言うことなんて古い」と冷笑的に言い放つ。昼休みには、別の生徒が友人グループの中で「あいつマジでダサくね?」と他の生徒を嘲笑する。こうした光景は、今や中学校の日常風景と化しています。しかし、その言葉の裏には「僕を見て」「私を認めて」という叫びが隠れていることを、私たち教師は忘れてはいけません。
この時期、彼らの心に届く指導とは、単なる「注意」ではありません。教師が生徒と対等な一人の人間として向き合い、彼らのプライドと不安を尊重した「対話」を成立させることこそが、解決の鍵となります。表面的な行動を叱責するだけでは、かえって反発を招き、心の殻をより固くしてしまうでしょう。彼らは大人の本気と誠実さを、敏感に嗅ぎ分ける力を持っています。
2. 思春期特有!「地位確認の儀式」としてのマウント行動
中学生にとって、「友達からの評価」は教師や親の評価以上に重要な意味を持ちます。彼らのマウント行動は、「この集団における自分の価値はどこにあるのか?」を探る、ある種の「地位確認の儀式」と言えます。自分の立ち位置を確認し、集団内での存在意義を測ろうとしているのです。
特に顕著なのが、教師の指導や意見を否定することで自分の独立性を示そうとする姿勢です。大人びた知識を誇示して仲間内での影響力を高めようとしたり、他の生徒を見下す発言で自分の優位性をアピールしたりする場面を、先生方も何度も目にしてきたことでしょう。ある生徒は最新のニュースを引き合いに出して教師の説明を否定し、またある生徒はファッションやゲームの知識で仲間を圧倒しようとします。
これらの行動の根底には、「認められたい」「価値ある存在だと思われたい」という切実な願いがあります。彼らは決して悪意から他者を攻撃しているわけではなく、自分の存在価値を証明する術を知らないだけなのです。小学校時代は「先生に褒められること」が承認の源泉でしたが、中学生になると「仲間から一目置かれること」へと軸足が移ります。この移行期に、彼らは自分なりの方法で承認を得ようと試行錯誤しているのです。
彼らの心にある「強がり」を解きほぐすためには、教師側が指導の「技術」を変える必要があります。感情的な叱責や表面的な注意では、かえって反発を招き、マウント行動を強化してしまう危険性すらあるのです。「またかよ」「うるせえな」という反応は、実は「僕の気持ちをわかってくれない」という失望の表現なのかもしれません。
3. 現場で効く!居場所を確立させる教師の4つの介入技術
① 感情の奥にある「意図」を問い、冷静な対話に持ち込む
マウント的な言動が起きたとき、感情的に叱るのは逆効果です。まずは場を改めて個別に対話し、その行動の裏にあるポジティブな意図を探ることから始めましょう。多くの場合、彼らは「認められたい」「頼りにされたい」という健全な欲求を、不器用な形で表現しているに過ぎません。
たとえば、授業中に他の生徒を見下すような発言をした生徒がいたとします。その場で厳しく叱責するのではなく、放課後に個別に呼んで、こう問いかけてみてください。「先生は、君が本当は『頼りにされたい』『認められたい』んだと感じたよ。どうしてそう言いたくなったのか、君の本音を聞かせてもらえないかな?」
この問いかけには、いくつかの重要な要素が含まれています。まず「先生は感じた」という言い方で、教師自身の解釈であることを明示しています。これにより、生徒は「決めつけられた」と感じることなく、自分の気持ちを語る余地を持てます。次に「頼りにされたい」という肯定的な動機を提示することで、生徒の行動を全否定するのではなく、その奥にある健全な欲求を認めています。そして最後に「本音を聞かせてもらえないかな?」と、対等な立場での対話を求めています。
教師が生徒の行動の奥にある真の意図を見抜こうとする姿勢を示すことで、生徒は「この先生は自分の本質を理解しようとしている」と感じます。すると防御態勢を解いて、対話の扉を開きやすくなるのです。重要なのは、行動そのものを否定するのではなく、その背景にある感情や欲求を認めること。「君には力がある。でも、その力の使い方を一緒に考えよう」というスタンスが、彼らの心に響きます。
この対話の中で、生徒が「別に」「わかんない」と答えることもあるでしょう。それでも構いません。教師が本気で向き合おうとしている姿勢は、必ず生徒の心に届いています。すぐに変化が見えなくても、種は確実に蒔かれているのです。
② 集団の「課題解決」を担わせ、真の自己有用感を与える
小学校時代の簡単な係活動ではなく、クラスや学校が抱える「課題」の解決に直接的に関わる、責任の重い役割を与えましょう。体育祭実行委員会のリーダーや、学級会での難しい討議のファシリテーター、新入生歓迎イベントの企画責任者など、本気で取り組まなければ成功しない、そんな挑戦的な役割が効果的です。
ここで重要なのは、「お飾り」の役割ではなく、実際に成果が問われる責任を与えることです。たとえば体育祭実行委員会のリーダーに任命する際、「みんなをまとめてくれればいいよ」という曖昧な指示ではなく、「クラス全員が楽しめる体育祭にするために、練習計画を立てて、意見の違いを調整して、当日までに全員の気持ちを一つにする。それが君の仕事だ」と、具体的な期待を伝えます。
「自分の力で集団がより良くなった」という成功体験は、「他人より優位に立つ」ことの無意味さを体感的に教えます。マウントを取って他者を下げることではなく、自分の能力を建設的に使うことで得られる充実感を知ることが、行動変容の大きなきっかけとなるのです。健全な「集団への貢献」を通じて、彼らは真の居場所を確立させていきます。
最初は失敗することもあるでしょう。メンバーの意見がまとまらず、計画が頓挫しかけることもあります。その時こそが、教師の腕の見せ所です。「どこでつまずいているのか、一緒に考えよう」と寄り添いながら、しかし答えは与えず、生徒自身に考えさせる。このプロセスを経て成功にたどり着いたとき、生徒は「自分には価値がある」という実感を、マウント行動ではなく実際の成果から得られるようになります。これこそが、根本的な解決への道なのです。
ある中学校では、クラス内のいじめ問題を生徒会のメンバーに任せたことがあります。教師が「これは君たちの問題だ。どう解決するか、君たちで考えてほしい」と投げかけたところ、生徒たちは真剣に討議を重ね、独自のルールと見守り体制を作り上げました。この経験を通じて、普段マウントを取りがちだった生徒が、「問題を解決する側」に回ったとき、その行動は劇的に変化したのです。
③ 生徒の「知識」を尊重し、教師が「教えてもらう側」になる
生徒が誇示したがる情報やスキルを否定せず、むしろ教師が「教えてもらう側」になる場面を意図的に作りましょう。たとえば、生徒が最新のゲームやアニメ、SNSのトレンドについて語り始めたとき、「そんなことを言っている場合じゃない」と遮るのではなく、こう応じてみてください。「へえ、そうなんだ。先生は知らなかったよ。さすが〇〇、その情報は先生の勉強になったな。ありがとう」
この反応には、計算された意図があります。まず、生徒の知識を「無駄なもの」として切り捨てるのではなく、価値あるものとして受け止めています。次に、「先生は知らなかった」と自分の無知を認めることで、教師が完璧でなくてもいいというメッセージを伝えています。そして「ありがとう」という感謝の言葉で、生徒の貢献を認めています。
彼らが持つ見識を教師が尊重することで、自尊心が健全に満たされます。すると、マウント行動を取る代わりに、「役に立つ情報」を教師や仲間に提供するという建設的な行動にシフトできるのです。さらに一歩進めて、「君、それについて詳しいんだね。今度、クラスのみんなにも教えてあげてくれないか?」と提案すれば、彼らの承認欲求は正当な形で満たされていきます。
ポイントは、「知識の披露」という欲求自体を否定せず、その表現方法を建設的な方向に導くことです。承認欲求を満たしながら、同時に社会性も育てることができる、一石二鳥のアプローチと言えるでしょう。教師が完璧でなくてもいい、生徒から学ぶこともある、という姿勢を見せることは、生徒に「人間らしさ」を教える貴重な機会でもあります。
実際に、ある教師はプログラミングに詳しい生徒に、授業でのプレゼンテーション用のちょっとしたツールを作ってもらったことがあります。その生徒は普段、自分の知識をひけらかすことで周囲から煙たがられていましたが、教師から「頼られる」経験を通じて、知識を「マウント」ではなく「貢献」に使うことを学んだのです。クラスメイトからも「すごいな」と素直に称賛され、彼の表情は明らかに変わっていきました。
④ 叱責後こそ「人間」として肯定し、信頼を保つ
思春期は叱責されるとプライドが深く傷つき、さらに反抗やマウントを強める傾向があります。だからこそ、指導後こそ、必ず「人としての承認」を伝えましょう。ルール違反や不適切な行動を指導することは教師の責務ですが、その際に生徒の人格まで否定してしまっては、信頼関係は崩れてしまいます。
たとえば、こう伝えてみてください。「今回の行動は集団のルールを破った。それは正しくない。でも、先生は〇〇という一人の人間の頑張りや、君の可能性を、いつも信じているよ」あるいは、「行動は変える必要があるけど、君自身の価値は変わらない。先生は君の味方だよ」という言葉も効果的です。
この伝え方には、明確な構造があります。第一段階で「行動の問題」を指摘し、第二段階で「人格の肯定」を伝える。この二段階構造が重要なのです。「君は悪い子だ」ではなく、「君の行動は改善が必要だが、君という人間は価値がある」というメッセージを明確に伝えることで、生徒は自己否定に陥ることなく、行動を改善する余地を持てます。
「行動(ルール違反)」と「人格」を切り離して指導することで、教師への信頼を損なうことなく、生徒の自己肯定感の土台を守ることができます。叱られた後に「自分という人間が否定された」と感じると、生徒は殻に閉じこもるか、さらに攻撃的になります。しかし「行動は正すべきだが、あなた自身は価値ある人間だ」というメッセージを受け取れば、変わる勇気を持てるのです。指導の最後には、必ず肯定的な言葉で締めくくることを心がけてください。
ある教師は、廊下で暴力的な行動を取った生徒を厳しく叱った後、その日の放課後に再び声をかけました。「さっきは厳しく言ったけど、先生は君が本当はやさしい人間だって知ってるよ。だからこそ、ああいう行動を見ると残念なんだ。君ならもっといい方法で自分を表現できるはずだから」この言葉に、その生徒は涙を流したと言います。叱責で傷ついたプライドを、肯定で包み込む。この温度差こそが、生徒の心を動かすのです。
4. 教師の「信念」が生徒の「未来」を拓く
中学生の「マウント行動」は、「自分は何者なのか」という深い迷いのサインです。思春期の生徒たちは、自分のアイデンティティを模索する過程で、時に不器用な方法で自己主張をします。それは決して悪意からではなく、「自分の居場所を見つけたい」という切実な願いの表れなのです。
教師が彼らの本質的な強さを信じ、一人の大人として対話する姿勢を貫くことで、彼らは張り子の「強さ」を脱ぎ捨て、自分らしい「居場所」を力強く築き始めるでしょう。表面的な行動だけを見るのではなく、その奥にある「認められたい」「価値ある存在でありたい」という普遍的な人間の欲求を理解すること。そして、その欲求を健全な形で満たす道筋を示してあげること。これこそが、思春期の生徒指導において最も重要な教師の役割です。
時間はかかるかもしれません。すぐに結果が出ないこともあるでしょう。一度対話したからといって、翌日から劇的に変わるわけではありません。むしろ、試すように再びマウント行動を取ることもあります。「あの先生は本当に信じてくれているのか」と確かめているのです。そんな時こそ、ブレずに向き合い続けることが大切です。
しかし、一人の大人として生徒と真摯に向き合い続けることで、必ず変化は訪れます。彼らが本当に必要としているのは、完璧な教師ではなく、自分を一人の人間として尊重してくれる大人の存在なのです。弱さも見せていい、失敗しても大丈夫だという安心感を持てたとき、彼らは無理に「強い自分」を演じる必要がなくなります。
教室という小さな社会で、生徒たちは将来の人間関係の基礎を学んでいます。マウントを取らなくても認められる、貢献することで価値を実感できる、そんな経験を積み重ねた生徒は、やがて健全な人間関係を築ける大人へと成長していくでしょう。
現場で奮闘する先生方を、心から応援しています。あなたの一言が、一人の生徒の人生を変える力を持っているのです。