「あの時、別の選択をしていれば…」
あなたは今日、何回そう思いましたか?朝の通勤電車で、職場のデスクで、夕食の席で。仕事でも、プライベートでも、人生は選択の連続です。そして私たちは、うまくいかなかった時に後悔します。朝起きた瞬間から夜眠るまで、私たちは絶え間なく何かを選び、その結果と向き合い続けています。
後悔という感情は、時に私たちを苦しめます。「あの時こうしていれば」という思いが頭の中をぐるぐると回り、夜も眠れなくなることがあります。仕事でのミス、人間関係のもつれ、子育ての失敗。どれも、選択の結果として私たちの前に立ちはだかります。
でも、ここに一つの重要な真実があります。選ばなかった道がどんな結果を生んだかは、誰にも分かりません。あなたが「ああすればよかった」と思っているその選択肢は、実際にはどんな結末を迎えたのか。それは永遠に謎のままなのです。もしかしたら、選んだ道よりもさらに悪い結果を招いていたかもしれない。あるいは、全く別の問題を引き起こしていたかもしれない。
今回は、判断の結果に後悔した時に有効な考え方を提案します。この思考法は、セルフコーチングにもつながる実践的なアプローチです。プラス思考でもマイナス思考でもない、論理的で現実的な視点から、後悔との向き合い方を考えていきましょう。
目次
人は1日1万回の判断をしている
判断の膨大さに気づいているか
人間は1日に約6万回思考し、1万回程度の判断(決断)をしているというデータがあります。諸説ありますが、想像以上の回数です。1万回という数字を聞いて、あなたはどう感じるでしょうか?「そんなに?」と思うかもしれません。
でも、考えてみてください。朝起きてから夜寝るまで、私たちは無意識のうちに膨大な数の選択をしています。
目覚ましが鳴った瞬間、すぐに起きるか、あと5分寝るか。シャワーを浴びるか、浴びないか。朝食は何を食べるか、食べないか。どの服を着るか。どの靴を履くか。何時に家を出るか。どのルートで通勤するか。職場に着いたら誰に挨拶するか。メールにいつ返信するか。会議で発言するか、黙っているか。昼食は何を食べるか、誰と食べるか。
これらすべてが判断です。そして、私たちはこの判断を、ほとんど無意識に行っています。
仕事における判断の密度
仕事であれば、その判断の数はさらに増えます。教師なら、1万回のうち5割以上が「指導に関する判断」かもしれません。授業での発問のタイミング、生徒への声かけの言葉選び、トラブルへの対応方法、保護者との面談での説明の仕方。一つひとつが重要な判断の積み重ねです。
会社員であれば、上司への報告のタイミング、取引先へのメールの文面、プロジェクトの進め方、部下への指示の出し方。経営者であれば、投資の判断、人事の決定、事業の方向性。どの立場であっても、判断から逃れることはできません。
そして判断には必ず結果が伴います。結果が良ければ安堵し、悪ければ後悔する。この繰り返しが、私たちの日常を形作っています。
なぜ判断は疲れるのか
判断という行為自体が、実は大きなエネルギーを消費します。心理学では「決断疲れ」という概念があります。一日の中で多くの判断を重ねると、判断力そのものが低下していくのです。
だから、優れた経営者や政治家は、日常の些細な判断を減らすために工夫をします。スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたのは有名な話です。バラク・オバマ元大統領も、「私が着る服はグレーか青のスーツだけだ。食事も選択肢を減らしている。判断する事項が多すぎて、他のことを判断したくないからだ」と語っています。
つまり、重要な判断のために、重要でない判断を減らす。これが、判断疲れと戦う一つの方法なのです。
相手の反応が感情を大きく揺さぶる
人間関係が絡む判断は、特に後悔を生みやすいものです。なぜなら、相手の反応が自分の感情を大きく揺さぶるからです。
教師なら、子ども・同僚・保護者との関係の中で。会社員なら、上司・同僚・取引先との関係の中で。親なら、子どもや配偶者との関係の中で。経営者なら、従業員や株主との関係の中で。相手の反応が肯定的なものであれば嬉しいし、否定的・攻撃的なものであれば悲しみや怒りの感情が湧いてきます。
この感情の振れ幅が負の方向に大きく揺れた時、私たちは自分の選択を後悔し始めます。「ああ、やっぱりやめておけばよかった」「最初はもう一つの方法で行こうとしていたのに」「あれをやっていれば、こんなことにはならなかったのに」。そんな思いが頭の中をぐるぐると回り始めます。
そして、その後悔が大きければ大きいほど、次の判断が怖くなります。「また失敗するんじゃないか」「また傷つくんじゃないか」。判断への恐怖が生まれ、行動が鈍くなります。これが、後悔の最も大きな害なのです。
でも、この後悔は正しいのでしょうか?冷静に考えてみる価値があります。
具体例:様々な場面での判断と後悔
分かりやすく、具体的な場面を例に考えてみましょう。ここでは教師の指導場面を中心に、会社員や親の例も交えて見ていきます。
事例1:話し合いへの介入判断
ロングホームルームで生徒たちの話し合いが紛糾しています。意見が対立し、声が荒くなり、場の空気が悪くなっていく。あなたは教室の後ろで見守りながら、迷っています。「このまま見守るべきか、それとも介入すべきか」。
生徒たちの自主性を尊重したい。でも、このまま放っておいたら人間関係が壊れるかもしれない。時計を見ると、あと10分でホームルームが終わる。このままでは何も決まらない。あなたの心の中で、二つの声が戦っています。
結局あなたは、介入して案を示すことにしました。これを選択Aとしましょう。「みんな、ちょっと待って。こういう考え方はどうだろう」。あなたは話し合いの流れを変えようと、一つの案を提示しました。その案は、両方の意見を取り入れた折衷案でした。
すると、生徒たちの表情が変わりました。それまで熱く議論していた彼らから、エネルギーが失われていくのが分かります。やる気をなくしてしまったのです。「先生が決めちゃうんだ」という空気が教室に広がります。話し合いは形だけ続きましたが、もう誰も本気で意見を言おうとはしませんでした。
あなたは後悔します。「ああ、やっぱり最後まで任せておけばよかった…」。選択Bとして頭の中に浮かんでいた「見守る」という選択肢を選んでいれば、生徒たちは自分たちで乗り越えたかもしれない。そう思うと、自分の判断が間違っていたように感じます。職員室に戻っても、その場面が頭から離れません。
でも、本当にそうでしょうか?冷静に考えてみてください。
選択Bは実際にはやっていないので、どうなるかは分かりません。もしかしたら、話し合いがさらに荒れて収拾がつかなくなったかもしれない。ある生徒が別の生徒に対して、取り返しのつかない言葉を投げつけたかもしれない。一部の生徒が傷つく発言を受けて、その後長く引きずることになったかもしれない。クラスの人間関係に深い亀裂が入り、修復に何ヶ月もかかったかもしれない。
選択Aで生じた「やる気の低下」は、もしかしたら起こりうる最小のダメージだったのかもしれないのです。あなたの介入が、実はクラスを大きな崩壊から守っていた可能性だってあるのです。生徒たちは表面的にはやる気をなくしたように見えましたが、心の奥では「先生が止めてくれた」と安堵していたかもしれません。
事例2:不登校生徒への家庭訪問
不登校の生徒がいます。もう2週間学校に来ていません。電話をかけても出ません。メールを送っても返信がありません。あなたは悩んだ末、家庭訪問に行くことにしました。これが選択Aです。
同僚からは「今は刺激しない方がいいんじゃないか」と言われました。管理職からは「保護者の意向を確認してからの方が」と助言されました。でも、あなたは「このまま何もしないわけにはいかない」と思い、放課後、生徒の家を訪ねることにしました。
玄関のチャイムを鳴らすと、保護者が出てきました。しかしその表情は険しく、あなたを見るなり声を荒げます。「なぜ来たんですか!うちの子をそっとしておいてください!学校に行けないのは、学校のせいなんですよ!」「もう来ないでください!」。玄関先で怒鳴られ、あなたは何も言えないまま帰路につきます。
車の中で、あなたは深く落ち込みます。悲しいですよね。後悔もするでしょう。「行かなければよかった」「もっとタイミングを見計らうべきだった」「同僚の言う通りにしておけば」。そう思うのは自然なことです。誰だって、否定され、拒絶されれば傷つきます。その夜、あなたは何度も今日の出来事を思い返し、眠れませんでした。
でも、もし家庭訪問を実施しなかったら、どうなっていたでしょうか。これが選択Bです。
数カ月が過ぎ、生徒は一度も学校に顔を出さないまま時間だけが流れていきます。ある日、保護者から学校に電話が入ります。「学校は何もしてくれない!うちの子に誰も関心を持っていないんですか!担任は何をしているんですか!」。抗議の電話です。そして生徒本人も、「誰も自分に関心がないんだ」と絶望し、その後二度と学校に戻ることなく、卒業の機会を失ってしまったかもしれません。高校であれば、卒業資格を得られなくなります。
選択Aで受けた拒絶は辛いものでした。でも、その拒絶を受けたという事実そのものが、「学校は見捨てていない」というメッセージになっている可能性があります。保護者は怒鳴りましたが、心のどこかで「この先生は本当に来てくれた」と感じているかもしれません。感情的になっていたけれど、後になって「あの時は言い過ぎた」と思い直すかもしれません。生徒本人も、「先生が来たらしい」という話を聞いて、誰かが自分を気にかけてくれていることを知るでしょう。それが、回復への小さな一歩になるかもしれません。
やっていない選択肢がどんな結果を招くかは、誰にも分からないのです。
事例3:会社員の報告判断
会社員のあなたは、プロジェクトで小さなミスをしてしまいました。幸い、まだ大きな問題にはなっていません。修正すれば間に合います。でも、上司に報告すべきかどうか迷っています。
報告すれば怒られるかもしれない。評価が下がるかもしれない。でも、報告しないで後で発覚したら、もっと大きな問題になるかもしれない。あなたは迷った末、すぐに上司に報告することにしました。選択Aです。
予想通り、上司は不機嫌になりました。「なぜもっと注意しなかったんだ」「これで納期が遅れたらどうするんだ」。厳しい言葉が続きます。あなたは謝罪し、すぐに修正することを約束しました。でも、上司の反応を見て、後悔が湧いてきます。「黙って自分で直せばよかった」「報告なんてしなければ、こんな嫌な思いをしなくて済んだのに」。
でも、もし報告しなかったら、どうなっていたでしょうか。選択Bです。
あなたは一人で修正作業を進めます。でも、思ったよりも時間がかかります。他の業務もあり、なかなか進みません。そして数日後、別の担当者がそのミスに気づきます。「これ、おかしくないですか?」。ミスが発覚します。上司に報告が入ります。「なぜすぐに報告しなかった!」。上司の怒りは、選択Aの時の比ではありません。信頼を失います。評価は大きく下がります。
選択Aで受けた叱責は辛かったかもしれません。でも、それは「正直に報告した」ことへの叱責でした。上司は怒っていましたが、あなたが誠実であることは理解していたでしょう。そして、すぐに対応できたことで、大きな問題にはなりませんでした。
事例4:親の叱り方の判断
子どもが友達とトラブルを起こしました。相手の親から電話がかかってきて、事情を知りました。あなたは子どもに事情を聞き、厳しく叱ることにしました。選択Aです。
「なぜそんなことをしたの!」「相手の気持ちを考えなさい!」。あなたの声は大きくなり、子どもは泣き出しました。叱った後、子どもは部屋に閉じこもってしまいました。夕食も食べようとしません。
あなたは不安になります。「叱りすぎたかもしれない」「もっと優しく諭すべきだった」。選択Bとして頭に浮かんでいた「冷静に話し合う」という方法を選んでいれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
でも、もし優しく諭すだけだったら、どうなっていたでしょうか。子どもは、自分のしたことの重大性を理解しなかったかもしれません。「親は怒らないんだ」と思い、同じことを繰り返したかもしれません。そして次回は、もっと大きなトラブルになったかもしれません。
選択Aで子どもは傷ついたように見えました。でも、それは「してはいけないことをした」という自覚の表れかもしれません。部屋で一人になって、自分の行動を振り返っているかもしれません。数日後、子どもから「あの時はごめんなさい」という言葉が出てくるかもしれません。
では、どうすればいいのか
後悔ではなく、次の一手を考える
判断の結果、否定的・攻撃的な反応が返ってきた時にすべきことは、後悔ではありません。その後、できることを考えることです。
「否定的・攻撃的な反応」という過去の事実は変えられません。もう起きてしまったことです。タイムマシンはありません。過去に戻ってやり直すことはできません。しかし、それを受けての自分自身の言動は、選択自由なわけです。
判断は1日数万回です。落ち込んで何もせずに過ごすのも判断です。感情的になって周囲に当たるのも判断です。冷静に反応を受け止めるのも判断です。そして、次にできることを考えて手を打つのも判断なのです。すべて、あなたが選べるのです。
例えば、先ほどの家庭訪問の例で考えてみましょう。保護者に拒絶されたという事実は変わりません。でも、その後の行動は選べます。
諦めて何もしないこともできます。でも、数日後に手紙を書くこともできます。「先日は突然お伺いして申し訳ございませんでした。ただ、お子さんのことが心配で…」。直接会うのが難しいなら、手紙という手段があります。手紙も難しいなら、学校からの連絡プリントに、そっとメッセージを添えることもできます。クラスの友達を通じて、様子を聞くこともできます。
選択肢は無数にあります。大切なのは、「拒絶された」という結果に囚われて動けなくなるのではなく、「では次はどうするか」と考えることです。
これはプラス思考とは違う
ここで誤解してほしくないのは、これは「気持ちを前向きに切り替えよう」というポジティブシンキングではないということです。
「私はマイナス思考だから…」と落ち込む必要はありません。プラス思考、マイナス思考は関係ないのです。
ここで提案しているのは、極めて現実的で論理的な考え方です。
事実1:選ばなかった選択肢の結果は分からない
事実2:過去は変えられない
事実3:でも、今からの行動は選べる
この3つの事実から導かれる結論は、「やっていないことを後悔するのは無意味であり、今できることを考える方が建設的だ」ということです。感情論ではなく、論理の問題なのです。
結局は、自分の役割として、できることを地道に重ねるということにフォーカスするだけです。感情がどうであれ、やるべきことはやる。それだけです。
職責を全うするという視点
公共交通機関の運転士を想像してください。もし運転士が「今日は気分が悪いから運転はやめよう」「さっき嫌なことがあったからイライラして運転できない」「昨日の判断を後悔していて集中できない」となったら、社会は回りません。
でも現実には、運転士の方々は、むしゃくしゃしながらも、疲れていても、プライベートで悩みを抱えていても、運転してくださっています。だからこそ、日本社会は動いているのです。家族の病気で心配していても、ダイヤ通りに運転します。前の駅で乗客とトラブルがあっても、次の駅では安全に停車します。
これは、感情を抑圧しているわけではありません。感情はあります。でも、職責を全うすることを優先しているのです。
これと同じです。教師なら、粛々と手を変え品を変え、工夫して授業をして、生徒指導をすること。会社員なら、感情に振り回されずに業務を遂行すること。親なら、落ち込んでも子育てを続けること。それが役割を担うということです。
特別なことをするのではありません。「Aでうまくいかなかったから、Cをやってみよう」と試行錯誤を重ねること。それが、自分ができることなのです。
小さな改善の積み重ね
重要なのは、大きな成功を目指すことではありません。小さな改善を積み重ねることです。
LHRで介入してしまい、生徒のやる気を削いでしまった。では次回はどうするか。完全に見守るのではなく、「中間」を探すことができます。例えば、「みんな、あと5分で意見をまとめられそう?」と時間を意識させる声かけだけする。これなら介入しすぎず、でも放置もしていません。
家庭訪問で拒絶された。では次はどうするか。直接訪問ではなく、まず電話で「今度お伺いしてもよろしいでしょうか」と確認する。あるいは、学校に来ていただく形を提案する。選択肢は他にもあります。
会社で報告して叱られた。では次はどうするか。報告の仕方を改善できます。「ミスをしました」という報告ではなく、「ミスをしましたが、こういう対策を取ります」という報告にする。問題と解決策をセットで報告すれば、上司の反応も変わるかもしれません。
子どもを叱りすぎた。では次はどうするか。翌日、子どもが落ち着いたタイミングで、改めて話すことができます。「昨日は強く言いすぎたかもしれない。でも、お母さんが心配だったのは…」と、感情と意図の両方を伝えることができます。
これらはすべて、小さな改善です。劇的な変化ではありません。でも、この小さな改善の積み重ねこそが、長期的には大きな成長につながるのです。
一喜一憂しないという境地
感情との適切な距離感
これらをまとめると、「一喜一憂しない」ということになります。ただし、これは感情を排すという意味ではありません。喜ぶべき時に喜び、悲しむべき時に悲しむ。それは人間として当然のことです。
問題は、日々の判断の一つひとつの結果に、感情を過度に振り回されることです。感情に振り回されると、判断力が鈍ります。次の一手が見えなくなります。エネルギーを消耗します。
適切な距離感とは何でしょうか。それは、感情を認識しながらも、感情に支配されないということです。「今、自分は怒っている」「今、自分は悲しんでいる」と客観的に認識する。でも、その感情に飲み込まれて、判断や行動が麻痺してしまわないようにする。
これは簡単なことではありません。でも、意識することで少しずつできるようになります。
高校スポーツのガッツポーズ問題から学ぶ
例えば、高校スポーツにおけるガッツポーズ。賛否両論がありますね。「相手を侮辱する行為だ」という反対派と、「感情を素直に表現して何が悪い」という賛成派に分かれます。多くの議論では、対戦相手への配慮が論点になります。
でも、もう一歩進んだ見方をする指導者がいます。
野球で言えば、ヒットを打って味方ベンチに向かってガッツポーズをすると、ボールの行方から目をそらすことになります。外野手が捕球してから送球するまでの間、ランナーはボールを見ていなければなりません。もしエラーをしていたら、進塁のチャンスです。でも、ガッツポーズをしている間は、そのチャンスに気づけません。
プレーヤーとしてあってはならないことです。喜びという感情が、次のプレーを見逃させてしまうのです。
この指導者が教えているのは、「相手への配慮」という道徳的な問題ではなく、「過度に喜びすぎると、次の一手を見失う」という戦術的な問題です。感情に流されることで、本来できたはずのプレーができなくなる。これは、人生のあらゆる場面に応用できる考え方です。
成功体験の落とし穴
過度に喜ぶことの危険性は、失敗だけでなく成功にもあります。
うまくいった時、私たちは嬉しくなります。自信がつきます。それ自体は良いことです。でも、過度に喜びすぎると、慢心が生まれます。「自分はできる」と過信します。そして、次回も同じ方法でいけると思い込みます。
でも、状況は常に変化しています。前回うまくいった方法が、今回もうまくいくとは限りません。相手が違うかもしれない。タイミングが違うかもしれない。文脈が違うかもしれない。
過度な喜びは、この変化への感度を鈍らせます。「前回うまくいったから」という油断が、次の失敗を招くのです。
指導者・リーダーの視点で考える
結果に一喜一憂しすぎると、二つの問題が生じます。
一つは、過度に不安になり自信を失うこと。失敗を引きずり、次の判断が怖くなります。「また失敗するんじゃないか」という恐怖が、行動を止めてしまいます。
もう一つは、過度に喜びすぎて過信を招くこと。成功に酔い、次に大きなミスを犯します。「自分は大丈夫」という根拠のない自信が、慎重さを失わせるのです。
どちらも避けたい事態です。そして、どちらも感情に振り回された結果なのです。
仕事も、子育ても、人間関係も、長期戦です。マラソンのようなものです。目の前の100メートルで一喜一憂していたら、42.195キロを走り切ることはできません。ペースを保つこと、淡々と走り続けること。それが完走の秘訣です。
喜怒哀楽の感情は、目の前の反応に対して出しすぎないようにする。これがベターだと私は考えています。ただし、誤解しないでください。目標を達成した時に子どもや仲間と共に喜んだり、悲しい出来事があれば悲しむことは当然です。大きな節目での感情は、むしろ大切にすべきです。
大切なのは、日々の判断の結果に感情を振り回されすぎないということです。毎日の小さな成功や失敗に一喜一憂していたら、エネルギーが持ちません。
淡々と、粛々と、自分のやるべきことを続ける。それが長期戦を戦い抜く秘訣です。
実践:この考え方を日常に活かす
ステップ1:感情と事実を分ける
まず最初にすべきことは、感情と事実を分けることです。
何か否定的な反応を受けた時、私たちの頭の中では感情と事実が混ざり合っています。「保護者に怒鳴られた」という事実と、「自分の判断は間違っていた」という解釈と、「もう二度と訪問したくない」という感情が、ごちゃごちゃになっています。
これを整理しましょう。
事実:保護者は怒っていた。拒絶された。
解釈:自分の判断は間違っていた。
感情:悲しい。恥ずかしい。怖い。
この3つを分けて書き出してみてください。ノートでも、スマホのメモでも構いません。書き出すという行為そのものが、頭の中を整理してくれます。
そして、この中で「解釈」の部分が、実は最も疑わしいのです。「自分の判断は間違っていた」というのは、本当に事実でしょうか?それとも、あなたの思い込みでしょうか?選ばなかった選択肢がどうなっていたかは、誰にも分からないのです。
ステップ2:「やらなかったこと」を想像する
次に、選ばなかった選択肢を具体的に想像してみましょう。
「もし訪問しなかったら」「もし介入しなかったら」「もし報告しなかったら」。その場合、どんなことが起こり得たでしょうか?できるだけ具体的に、複数のシナリオを想像してください。
ポイントは、良いシナリオだけでなく、悪いシナリオも考えることです。多くの人は、「あっちを選んでいれば良かった」と考える時、良いシナリオだけを想像します。でも、実際には悪いシナリオもあり得たのです。
例えば、「訪問しなかったら」というシナリオで考えてみましょう。
良いシナリオ:生徒と保護者が自分たちのペースで回復し、数週間後に自主的に連絡が来た。
悪いシナリオ1:数ヶ月経っても連絡がなく、保護者から「学校は何もしてくれない」とクレームが来た。
悪いシナリオ2:生徒が「誰も気にかけてくれない」と絶望し、さらに状態が悪化した。
悪いシナリオ3:別の生徒の保護者から「あの子は不登校なのに、なぜ担任は何もしないのか」という声が上がった。
良いシナリオは1つ、悪いシナリオは3つ。確率的に考えれば、悪いシナリオの方が起こりやすかったかもしれません。
この作業をすることで、「選んだ道」が最悪ではなかったことに気づけます。
ステップ3:次にできることを3つ挙げる
感情と事実を分け、やらなかったことを想像したら、次は「これからできること」を考えます。
最低でも3つ挙げてください。3つという数字が重要です。1つだけだと、選択肢がないように感じます。2つだと、二者択一になってしまいます。でも3つあれば、「選んでいる」という感覚が生まれます。
例えば、家庭訪問で拒絶された後、次にできることは何でしょうか。
1. 数日後に手紙を書く
2. 学校から送るプリントに、短いメッセージを添える
3. クラスの友達を通じて、そっと様子を聞く
3つの選択肢があれば、「何もできない」という無力感から解放されます。そして、この中からどれか一つを実行すればいいのです。完璧を目指す必要はありません。
ステップ4:小さく始める
3つの選択肢の中から、最も実行しやすいものを選んで、小さく始めましょう。
ここで重要なのは、「小さく」ということです。大きな行動を起こそうとすると、またハードルが高くなり、動けなくなります。
手紙を書くなら、長い手紙ではなく、短いメッセージカードでいいのです。「先日は突然お伺いして申し訳ございませんでした。〇〇さんのことを心配しています」。これだけで十分です。
プリントにメッセージを添えるなら、「いつでも相談に乗ります」の一言でいいのです。
クラスの友達に聞くなら、「最近〇〇さん、元気にしてるかな?」と軽く聞くだけでいいのです。
小さな一歩を踏み出すこと。それが、後悔から行動への転換点になります。
ステップ5:結果に一喜一憂しない
そして、その小さな行動の結果にも、また一喜一憂しないことです。
手紙を送ったけど返事がない。それでいいのです。手紙が届いたという事実が大切なのです。今すぐ返事がなくても、保護者の心に何かが残ったかもしれません。それは数ヶ月後に芽を出すかもしれません。
友達に聞いたけど、「分からない」と言われた。それでもいいのです。あなたが気にかけているという事実が、友達を通じて伝わるかもしれません。
結果を期待しすぎると、また後悔の種になります。「手紙を送ったのに返事がない。やっぱり送らなければよかった」。これでは元の木阿弥です。
行動すること自体に意味がある。そう考えましょう。
よくある質問:この考え方への疑問に答える
Q1:それでも後悔してしまう時は?
人間ですから、後悔することはあります。頭では理解していても、心が追いつかないこともあります。
そんな時は、後悔する自分を否定しないでください。「後悔してはいけない」と思うと、さらに苦しくなります。
「ああ、今自分は後悔しているな」と認識するだけでいいのです。そして、「でも、やらなかった道がどうなったかは分からないよな」と、もう一人の自分が語りかけるイメージです。
後悔という感情を消そうとするのではなく、その感情と共存しながら、次の行動を考える。それでいいのです。
Q2:全ての判断でこの考え方を使うべき?
いいえ、すべてではありません。
重要な判断、結果が大きく響く判断には、この考え方が有効です。でも、日常の些細な判断まで、いちいちこの思考プロセスを通す必要はありません。
「昼食に何を食べるか」という判断で、「やらなかった選択肢を想像する」必要はないでしょう。それこそ、判断疲れを招きます。
この考え方は、後悔が大きい時、心が動けなくなった時のための「道具」です。必要な時に取り出して使えばいいのです。
Q3:この考え方は無責任ではないか?
これは重要な質問です。「やらなかった道は分からない」という考え方は、一見すると責任逃れに聞こえるかもしれません。
でも、そうではありません。
責任逃れとは、「自分は悪くない」と考えることです。でもこの考え方は、「選んだ道の結果は受け止める。でも、選ばなかった道と比較して後悔することは無意味だ」という考え方です。
結果の責任は取ります。生徒のやる気が下がったなら、それを回復させる手立てを考えます。保護者に拒絶されたなら、別のアプローチを考えます。会社でミスをしたなら、修正します。子どもが傷ついたなら、フォローします。
責任を取りながら、でも過度に自分を責めない。これがバランスなのです。
Q4:感情を抑えすぎると、冷たい人間にならないか?
これも大切な質問です。一喜一憂しないということは、感情を失うことではありません。
感情は持っていいのです。悲しい時は悲しい。嬉しい時は嬉しい。それは自然なことです。
問題は、その感情に支配されて、判断や行動ができなくなることです。感情を認識しながら、でも感情に飲み込まれない。これが目指すところです。
むしろ、感情を適切に扱えるようになると、より深い共感ができるようになります。自分の感情をコントロールできる人は、他者の感情にも寄り添えるのです。
Q5:この考え方は、挑戦を避けることにつながらないか?
「どっちを選んでも分からない」なら、「何もしない」という選択をしてしまうのでは?という疑問ですね。
でも、「何もしない」も選択です。そして、「何もしない」を選んだ場合の結果も、やってみないと分かりません。
むしろ、この考え方は挑戦を後押しします。なぜなら、「失敗しても、別の道を選んでいたらもっと悪かったかもしれない」と考えられるからです。
失敗への恐怖が減れば、挑戦しやすくなります。「やってみて、ダメなら次の手を考えればいい」。そう思えることが、行動の原動力になるのです。
心理学・脳科学から見る後悔のメカニズム
後悔はなぜ生まれるのか
心理学では、後悔は「反実仮想」という思考プロセスから生まれるとされています。反実仮想とは、「もし〜していたら」という、現実とは異なる仮想の状況を想像することです。
人間の脳は、起こらなかった未来を想像する能力に長けています。これは、学習と計画のために進化した能力です。「あの時こうしていたら」と考えることで、次回に活かせるからです。
でも、この能力が時に私たちを苦しめます。起こらなかった未来を、実際に起こった現実よりも良いものとして想像してしまうのです。
後知恵バイアス
もう一つ、後悔を強める要因に「後知恵バイアス」があります。結果を知った後で、「あの時から分かっていた」と思い込む傾向です。
実際には、判断の時点では情報が不完全で、不確実性が高かったはずです。でも、結果が出た後では、「あの時ああすればよかったのは明らかだった」と思ってしまいます。
これは錯覚です。判断の時点に戻れば、同じように迷ったはずなのです。
脳の省エネモード
脳は、エネルギーを節約するために、シンプルな説明を好みます。「うまくいかなかったのは、別の選択をしなかったからだ」というシンプルな説明は、脳にとって楽なのです。
でも、現実はもっと複雑です。うまくいかなかった原因は複数あるかもしれません。タイミング、相手の状態、その日の天気、様々な要因が絡み合っています。
でも、脳はそれを考えるのが面倒なので、「選択のせいだ」という単純な結論に飛びつくのです。
対処法:メタ認知を鍛える
これらのバイアスに対抗するには、メタ認知を鍛えることが有効です。メタ認知とは、自分の思考を客観的に見る能力です。
「今、自分は後悔している」「今、自分は反実仮想をしている」「今、自分は後知恵バイアスに陥っている」。こうして自分の思考を観察することで、バイアスから距離を取ることができます。
完全にバイアスから逃れることはできません。でも、「自分はバイアスに陥っている」と気づくだけで、その影響を弱めることができるのです。
まとめ:自分をコントロールできる範囲にフォーカスする
核心となる3つの真実
この記事全体を通じて、3つの核心的な真実をお伝えしてきました。
真実1:起きていないことは、どうなったのか分からない
選ばなかった道がどんな結果を生んだかは、永遠に謎です。あなたが「ああすればよかった」と思っている選択肢は、実際にはもっと悪い結果を招いていたかもしれません。
真実2:過去は変えられないが、未来は変えられる
すでに起きたことは変えられません。でも、これから起こることは、あなたの行動次第で変わります。後悔に時間を使うのではなく、次の一手を考えることに時間を使いましょう。
真実3:自分の行動だけが、自分でコントロールできる
他人の反応はコントロールできません。状況もコントロールできません。でも、自分の行動は、自分で選べます。そこにフォーカスすることが、唯一の前進の道です。
負の感情との付き合い方
負の感情は、大きな疲労感を伴います。それを引きずってしまうと、日常生活や仕事に支障が出ます。心が疲れると、体も疲れます。そして疲れた状態では、良い判断ができません。悪循環が始まります。
だからこそ、日々の判断結果に伴う感情をできるだけ抑える。自分の役割を果たすことに集中する。淡々と実践を積み重ねる。
この3つが重要になってきます。
感情を排除するのではありません。感情を認識しながら、感情に支配されない。この微妙なバランスを保つことが、長期戦を戦い抜く秘訣なのです。
コントロールできる範囲とできない範囲
自分ができること、やるべきことにフォーカスすること。それが、自分自身を自分でコントロールできる範囲です。
コントロールできないこと
- 他人の反応
- 過去の出来事
- 選ばなかった道の結果
- 予測できない状況の変化
コントロールできること
- 今この瞬間の自分の行動
- 次にどう対応するか
- 感情とどう付き合うか
- どこに注意を向けるか
コントロールできないことに囚われるのではなく、コントロールできることに集中する。これが、この記事の最も重要なメッセージです。
他人の反応はコントロールできません。保護者がどう反応するか、生徒がどう受け取るか、上司がどう判断するか。それは相手次第です。
過去もコントロールできません。もう起きてしまったことは、取り消せません。
でも、今この瞬間の自分の行動は、コントロールできるのです。次にどうするか、どんな言葉を選ぶか、どんな態度で臨むか。それは、すべてあなたが選べるのです。
歩みは続く
人生は長い道のりです。教師としてのキャリアも、会社員としてのキャリアも、親としての人生も、長い旅です。
その道のりの中で、うまくいかないことは何度もあります。判断を誤ることもあります。後悔することもあります。それは避けられません。
でも、一つひとつの失敗に立ち止まっていたら、前に進めません。
歩みは続いていくものです。焦らずに着実にいきましょう。一歩ずつでいいのです。転んだら起き上がればいい。道を間違えたら、修正すればいい。
完璧な判断など存在しません。完璧な人間など存在しません。私たちは皆、不完全な情報の中で、不完全な判断をしながら、それでも前に進んでいくしかないのです。
最後に
心が揺れがちで疲労が溜まっている方、ぜひこの考え方を参考にしてみてください。
完璧を目指す必要はありません。すべての判断でこの思考法を使う必要もありません。ただ、心が折れそうになった時、後悔に押しつぶされそうになった時、この記事を思い出してください。
「選ばなかった道の結果は分からない」
この一つの事実を思い出すだけで、少し心が軽くなるはずです。
そして、「では、次は何ができるだろう」と考えてみてください。小さな一歩でいいのです。その一歩が、あなたを前に進めます。
あなたの判断は、間違っていなかったかもしれません。選んだ道は、最善ではなかったかもしれませんが、最悪でもなかったはずです。
だから、自分を責めすぎないでください。できることを、一つずつやっていきましょう。
歩み続けることが、何よりも大切なのです。