神戸市立東須磨小学校で発覚した教師間暴行事件。この事件が発覚したきっかけは、激辛カレーを強要する録画映像がメディアに流出したことでした。もしこの映像が外部に出なければ、犯罪行為は継続していたと考えられます。それほど職場は腐敗し、見て見ぬふりが横行していたのです。
さらに、週刊文春2019年10月24日号(10月17日発売)の報道によれば、加害教師の一人が後輩教師に性的な行為を強要し、その証拠画像を送らせるという、強要罪に該当する重大な犯罪も犯していました。
しかし、事件発覚後に起きたのは犯罪者の厳正な処罰ではありませんでした。「学校組織の問題」「管理体制の不備」「教育現場の闇」といった抽象的な議論ばかりが繰り返され、肝心の犯罪者個人への追及は曖昧にされてしまいました。
なぜ明白な犯罪行為が「いじめ問題」として矮小化されるのか。なぜ被害者は声を上げられないのか。そして、なぜ真面目な教師ほど犯罪者を野放しにしてしまうのか。この事件が暴いた本当の問題を直視する必要があります。
犯罪を「いじめ」と呼ぶ欺瞞
どの職場にも犯罪者は存在する
神戸の事件が報道されると、必ず「学校は特殊だ」「教師の質が低下している」という論調が展開されます。しかし、これは完全な的外れです。
職場での暴行、器物損壊、強要、名誉毀損といった犯罪行為は、学校に限った話ではありません。一般企業でも、官公庁でも、病院でも、どの職場にも一定の割合で犯罪者は存在します。
「お局様」という言葉で片付けられがちな職場の嫌がらせも、実際には暴行罪や名誉毀損罪に該当するケースが多数あります。しかし、なぜかそれらは「職場の人間関係の問題」として処理され、刑事告発されることはほとんどありません。
問題の本質は学校組織の特殊性ではなく、職場犯罪を「いじめ」や「人間関係のもつれ」として矮小化する社会全体の体質にあるのです。
個人の資質こそが問題の核心
神戸の加害教師たちの行為を詳しく見れば、その異常性は明らかです。
同僚の車に傷をつける。これは器物損壊罪です。 カレーを目に塗りつける。これは暴行罪です。 性的な言動を強要する。これは強要罪であり、れっきとした犯罪です。
これらの行為を「いじめ」と呼ぶこと自体が欺瞞です。明らかに刑法に触れる犯罪行為なのです。
そして、このような犯罪を平然と行う人間は、教師としての資質以前に、人間としての基本的な良識を欠いています。「指導が行き過ぎた」「コミュニケーションの取り方が不適切だった」といった説明は、犯罪を正当化する詭弁に過ぎません。
「若い女性のみを標的にする」卑劣さ
職場犯罪の加害者には共通する特徴があります。それは攻撃対象を計算的に選んでいることです。
神戸の事件でも、加害者たちは若い教師、特に反撃してこなさそうな相手を意図的に選んで攻撃していました。管理職の前では猫をかぶり、立場の弱い相手にだけ本性を現す。
私が相談を受けた事例でも、「若い女性教師のみを罵倒する」という卑劣な加害者がいました。その加害者は年配の男性教師や管理職の前では従順でしたが、20代30代の女性教師に対してだけは人格否定的な暴言を浴びせ続けていました。
このような選択的攻撃こそが、加害者の行為が計画的で悪質な犯罪であることを証明しています。「指導のつもりだった」という弁解など通用するはずがありません。
管理職の隠蔽体質が犯罪を助長する
「報告したら自分の責任を問われる」という保身
神戸の事件で最も問題視されるべきは、校長の対応です。明らかな犯罪行為の報告を受けながら、適切な対処を怠った。これは管理能力の不足などという生易しい問題ではありません。意図的な隠蔽行為です。
なぜ管理職は隠蔽に走るのか。答えは単純です。問題を報告すれば、自分の管理責任を問われ、処分や人事評価に影響するからです。
私自身も経験があります。同僚の犯罪的な行為を管理職に報告した際、返ってきた言葉は「気持ちは分かりますが」「そうは言ってもねぇ」という曖昧な返答でした。具体的な対処は一切行われず、結果として犯罪者は野放しになりました。
この管理職の保身体質こそが、職場犯罪を蔓延させる最大の要因なのです。
行政の責任転嫁体質
さらに問題なのは、行政の責任転嫁体質です。
そもそも問題のある教師を採用したのは教育委員会です。採用試験の段階で「将来犯罪を起こす人間」を見抜くことなど不可能であることは明らかです。にもかかわらず、問題が発覚すると「校長の管理責任」として現場に責任を押し付ける。
この構造がある限り、校長は問題を隠蔽せざるを得なくなります。正直に報告すれば責任を問われ、隠蔽すれば当面の危機を回避できる。合理的に考えれば、隠蔽を選択するのは当然の帰結です。
問題解決のためには、まず行政がこの責任転嫁体質を改め、現場が正直に報告できる環境を整備することが不可欠です。
真面目な教師ほど被害を拡大させる矛盾
「私が我慢すれば済むこと」という誤った認識
職場犯罪の被害が拡大する要因の一つは、被害者の真面目さも挙げられます。これは皮肉な現実ですが、教師という職業の特性が犯罪を助長してしまうのです。
教師は基本的に真面目で責任感の強い人が多い職業です。児童生徒のこと、同僚のこと、学校のことを第一に考え、自分の利益は後回しにする。この美徳が、職場犯罪の被害に遭った際には仇となってしまいます。
「私が我慢すれば済むこと」 「大事にして学校に迷惑をかけたくない」 「子どもたちに影響が出るかもしれない」
このような思考パターンが、犯罪者を野放しにし、被害を拡大させる結果を招いているのです。
周囲の「やめておけ」という圧力
さらに深刻なのは、周囲の教師からの圧力です。
私が教師時代、若い女性教師への暴言を繰り返す加害者に立ち向かおうとした際、被害者本人から「大丈夫です。平田先生も嫌な目に遭いますよ」と制止されました。周囲の先輩教師も「やめとけ」という態度でした。
この「事なかれ主義」が職場犯罪を助長しているのです。善良な教師たちが、善意のつもりで犯罪者を保護してしまう。この矛盾こそが問題の核心なのです。
仕返しを恐れる心理
被害者が声を上げない理由として、仕返しへの恐怖もあります。
犯罪者は往々にして執念深く、告発した相手に対してさらなる嫌がらせを行う傾向があります。この恐怖心が被害者を沈黙させ、結果として犯罪を助長してしまいます。
しかし、この恐怖心こそが犯罪者の思う壺なのです。沈黙していれば安全だと思うかもしれませんが、実際には犯罪がエスカレートし、より深刻な被害を受ける可能性が高くなります。
職場犯罪根絶のための具体的行動
「いじめ」ではなく「犯罪」として扱う
職場犯罪を根絶するための第一歩は、言葉の使い方を変えることです。
暴行は「いじめ」ではなく「暴行罪」です。 器物損壊は「いやがらせ」ではなく「器物損壊罪」です。 強要は「きつい指導」ではなく「強要罪」です。
このように正しい法的用語を使用することで、問題の深刻さを正確に認識できるようになります。「いじめ」という曖昧な言葉は、犯罪を矮小化し、加害者を保護する機能しか果たしません。
即座の報告システム確立
職場で犯罪行為を目撃した際の報告システムを明確にすることが重要です。
「おかしいと思ったらすぐに上に上げる」
この当たり前のことが実行されていないのが現状です。報告を受けた管理職は、隠蔽ではなく適切な対処を行う義務があることを明確にする必要があります。
被害者保護システムの充実
被害者が安心して声を上げられる環境を整備することも不可欠です。
匿名での報告システム、外部の専門機関との連携、被害者への報復防止策など、包括的な保護システムが必要です。被害者が「声を上げて良かった」と思える結果を実現しなければ、根本的な解決は望めません。
加害者への厳正な処分
最も重要なのは、犯罪者への厳正な処分です。
「指導」「研修」「異動」といった甘い処分では犯罪の抑止効果はありません。刑事告発、懲戒免職、損害賠償請求など、法的に可能な最も厳しい処分を科すことが必要です。
一人の犯罪者を野放しにすることは、他の潜在的犯罪者に「犯罪を犯しても大した処分は受けない」というメッセージを送ることになります。この負のスパイラルを断ち切るためには、見せしめ的な厳罰が効果的です。
膿を出し切る時が来た
犯罪者を排除する覚悟
東須磨の事件は、日本の職場に蔓延する犯罪隠蔽体質を白日の下に晒しました。この機会を逃してはいけません。
真面目で善良な教師たちが安心して働ける環境を作るためには、犯罪者を排除する覚悟が必要です。「みんなで仲良く」「話し合いで解決」といった綺麗事では、犯罪者は改心しません。法的な強制力をもって排除するしかないのです。
社会全体の意識改革
この問題は教育現場だけの問題ではありません。あらゆる職場で同様の犯罪が行われている現実を直視し、社会全体で意識改革を行う必要があります。
職場での暴行、器物損壊、強要、名誉毀損は犯罪です。「厳しい指導」「コミュニケーションの行き違い」「人間関係のもつれ」ではありません。この当たり前の認識を社会全体で共有することから始めなければなりません。
個人の問題として徹底追及
最後に強調したいのは、この問題の本質は「個人の資質」だということです。
組織論や制度論で問題をぼかしてはいけません。犯罪を犯す人間は、その人個人に問題があるのです。そして、そのような人間を社会から排除することこそが、真の解決策なのです。
神戸の事件を契機として、職場犯罪を根絶する社会的合意を形成する。それが、この事件から学ぶべき最も重要な教訓です。
膿を出し切る時が来ました。もう隠蔽は許されません。