こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。

新学習指導要領の目玉、「アクティブ・ラーニング」は理念としては素晴らしいと思います。ただ、それ以前の課題に取り組み、奮闘している学校があるということが、社会にどれだけ知られているのかどうか疑問に思うことがあります。

今回は、「定時制高校」での授業参観を通して考えたことをもとに、「知る」ことについて述べていきます。

学び直しの生徒に必要なこと

現在の定時制高校には、「勤労学生」は少ないです。中学時代に不登校を経験した生徒、外国籍の生徒など、集団で学習すること自体に課題を抱える生徒が多く在籍します。そこで必要なことは、「横文字」の「斬新」な手法ではなく、教育の原点とも言うべき内容です。そのことを実践するために必要なのが、教師が「知る」ことだと考えます。

授業参観前の説明にて

2年前、現職時代、某定時制高校の授業参観・授業研究に参加しました。授業者は2年目の20代の先生(A先生)で、授業開始前に、対象生徒の説明をA先生がしてくださいました。

そこで、

  • 女子生徒は、普段は、筆記用具すら準備しない
  • 2カ月前から、「〇月×日の△校時は、多くの参観者が来るので、筆記具はあった方がいい」と伝えてきた。その結果、10日前から筆記用具を持参するようになった

ということを聞きました。

学ぶことの意味が分からない

高校入学以前に、様々な要因で授業を受けなくなったり、不登校になった生徒は、学ぶ意味を見出せなくなっている者が多くいます。それは、教師側の接し方に問題があるかもしれませんし、家庭の問題かもしれませんし、本人の問題かもしれません。

重要なことは責任転嫁をすることなく、生徒に関わった者が謙虚に自己を省みることだと思います。生徒自身の問題であることもありますが、思春期で混乱している状況を鑑みると、やはり関わる大人が丁寧な対応をしていくことが望まれます。

少しの自由の中で

高校に入学すると、中学よりは自由度が増します。単位という縛りがありますが、極力単位を出すように高校は努力しています(是非は論じません)。そこで、高校卒業を目指す生徒は、授業の場にいることはいるのです。

しかし、「授業中はそこにいるだけで聴いてはいない」、「試験だけはしっかりと受ける」という状況になります。

これらの状況の中で、私が参観した学校の生徒達の「現在」につながっていたのです。

授業開始。筆記用具は・・・

授業は少人数でした。

  • 女子生徒3名
  • 高齢者2名(おそらく60代)
  • 男子生徒1名

女子生徒達は、筆記用具は持参していました。しかし、私語が止まらない。それに対するA先生の指導が絶妙でした。10のうちの2程度の頻度で注意を短くしていました。

注意された女子生徒達は、毒づきながらも従いました。数分後には、私語が再開するのですが・・・。

A先生は、生徒の特性をしっかりとつかんでいました。授業規律を保つためには注意しなければならない。しかし、普通にやったのでは大きな反発を食らい、生徒は授業から離れてしまうということを良く理解されていました。だからこそ、勝負できる・勝負すべきところを2割のところに置いたのだと思います。

そもそも、筆記用具をしっかりと持ってきたところからも、A先生の日頃の指導が生徒に届いていたことが分かりました。
後々、授業研究時に聞いたのですが、筆記用具を持ってくるように継続して言い聞かせた理由は「他者意識の涵養」にあるとのことでした。

思った通りでした。A先生と生徒の関りから、A先生が、「『筆記用具も準備させられない指導力のない教師」と見られたくない」との気持ちから、言い続けたのではないのです。

A先生は、教科指導の中でも進路指導、キャリア教育のできる方だったのです。この研究授業を機に、女子生徒たちの学びへの姿勢が変わっていくことが期待できます。

ちなみに、その時は2月でした。授業に筆記用具を持参させるのに、あの手この手を使って10カ月を経て習慣化の一歩を踏み出したのです。

途中でいろいろなことがあったことでしょう。それでも、A先生は、国語科の授業を展開しながら、人としての在り方を指導してきたと言えるでしょう。

学ぶ態度を習得させるために焦らず、継続することが必要な現場もあるのです。

学ぶ高齢者

女子生徒たちの私語に反応したのはA先生のみではありません。高齢の生徒が「あんたたち、うるさい!」と随所に声を上げていました。

高齢になって、初めて高校で学ぶこの方の学習意欲の高さは目を見張るものがありました。また、よく聞くとたどたどしい日本語で話していらっしゃいました。

教科書は検定教科書を使っていましたが、課題は個別になっていました。発問に対する回答を一文で書く、といったものでした。しかも、漢字ではなくひらがなとカタカナ混じりの文です。

それでも、A先生と黒板を見つめる眼差しに、私は教育の原点を見ました。

「綺麗事」と言われようが何と言われようが、私は、この教室に教育の原点を見たのです。

教育とは人間同士の関わり

高校入学前に何らかの事由で学習に躓き、素直な態度をとることができない女子生徒。それでも、授業に出席し、食らいついている。

10代で高校入学の機会を得られずとも、諦めずに高等学校での学びの機会を得た高齢の生徒。

この集団に対して、個々に応じた対応を展開するA先生。毒づかれようと理解までに時間がかかろうと、学びの型を作ろうと奮闘する姿。

教育とは、目の前の児童生徒が1ミリでも成長できるように、教育的な言動で接し続けることに他ならないと考えます。その成長がいつ見られるかどうか分からなくとも、とにかく関わって関わって、関わり続けること!

A先生は、そのことを体現していました。研究授業だからではなく平常の授業字時から意識して実践されているということが伝わりました。

A先生は、目の前の生徒の教育歴を「知り」、必要な手立てを「知り」、考えた上で実践されていたのだと思います。
「知る」ことなく、世間で声高に叫ばれていることをそのまま当てはめた時、その現場には亀裂が入るのだと思います。

立場や経験があっても「知らない」人がいる

授業終了後、授業研究会が行われました。その場で、「知らない」方に遭遇しました。

その方は、某小学校の校長先生(B校長)でした。B校長は、意見交換の中で、「なぜ、あのような生徒たちがいるのですか?」ときつめの口調で意見を述べました。

はい。終了ですね。

現在、小学校にも特別な支援を必要とする児童は一定の割合で存在します。発達障害や外国にルーツを持つ児童、また、いじめや家庭の問題等で学習どころではない児童など。

B校長の学校を想像すると、怖ろしくもあり、悲しくなりました。

このような校長は児童と直接接することはなくとも、接する教師を追い詰めます。保護者を不愉快にさせることもあるでしょう。

「知らない」者が学校運営のトップに立っている現状。また、前向きかつ素晴らしい実践をしている教師を適切に評価できない現状。

また、多様な児童生徒を許容できないでいる現状。

この惨状を「知る」ことは、教育関係者、特に、様々な施策を打ち出す立場の方に必要だと思います。

働き方改革の前にやることはありませんか?

まとめ

定時制高校のみではなく、東京で言えば、「チャレンジスクール」や「エンカレッジスクール」など、多様な生徒が集まる高校があります。

本当に個に応じた指導が求められている高校です。そこの先生方は、本当に工夫をされて授業を展開されています。だからこそ、「アクティブ・ラーニング」を展開していなくとも、実践に自信を持ってください!先生方の授業実践で救われている生徒は多数います。そして、保護者も。

「アクティブ・ラーニング」をどどのような高校でも実践することを目指すのであれば、教員の数を増やすことは避けて通れません。行政には、その覚悟を持って、より丁寧な立案や運営をお願いしたいと思います。

また、各高校の先生方、生徒の実践、努力を適切に評価していただきたいと思います。まずは、丁寧に「知っ」ていくことをお願いします。

それが、心ある先生方が誇りを持って教職を続ける気持ちにつながっていくと思いますので。

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