こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。帰省中の私。母校の小学校近辺を散歩していたら、小学生や中学生が遊んだり、部活動の自主練習をしている姿を毎日見かけます。そして、おそらく通りすがりと思われる地域の高齢者が、小中学生に声をかけている姿。さらに、それに言葉を返す小中学生。その光景を見ていると、ある言葉を再認識しました。

それは、「この子らを世の光に」です。これは、「障害者福祉の父」と呼ばれる糸賀一雄氏の言葉です。糸賀氏は知的障害者が精神薄弱者と呼ばれていた時代に、「この子らに世の光を」という同情的な視点ではなく、「この子らを世の光に」していくという、どのような子どもたちであっても輝く面があるという考えを持っていた方です。

私は、高3時、大学受験の小論文対策の読書でこの言葉を知り、衝撃を受けました。偶然目にした言葉でしたが、後から思えば必然だったように思います。教師になってから、どの校種、どの学校にいってもこの言葉を胸に秘めて指導に当たってきたつもりです。障害があろうとなかろうと、どのような環境で育ってこようと、どのような性格であろうと、目の前の子どもたちを輝かせる努力を惜しまずやる。それしかできなかった。それこそやるべきことだと信じてきました。

そして、教師を辞めると決意した時、私の胸にはある言葉が浮かんでいたのです。それは、「教師は世の光である」というものでした。そうです、教師も世の光なのです。社会の光である先生方の力になりたいと強く決意しました。

子どもの輝きを見出す先生方

いろいろな成育歴、教育歴を経た子どもたち。また、性格もそれぞれ。そのような子どもたち一人一人を教育する先生方は、相当な工夫をしています。指導言一つとっても、全員に同じように伝わらないことも多い。それでもより良いものを目指して、日々実践を積み重ねる先生方が世の光として認識される社会にしたいと、私は考えています。子どもたちを輝かせるのために尽力する先生方もまた光に違いありません。私は、先生方に言いたいのです。「先生方は世の光です」と。

ズタズタになる心身

現実は、子どものために実践を積み重ねても、保護者から叩かれ、同僚から叩かれ、社会から叩かれるという事例は後を絶ちません。ちょっとした言葉尻を問題視されて、徹底的に貶められる例もあります。結果、心身ともにズタズタになってしまいます。光が日本全国から消えていっています。

心ある教師一人が現場から去ると、単純に40人の児童生徒が光となる機会を奪われる恐れが強くなります。言い換えると、心ある教師が一人現場に残ることで、40人の児童生徒が光となる可能性が高まるのです。しかも1年間で。さらに、担当授業のことを考えると、もっと多くの児童生徒に影響を与える機会に関わってくるのです。

教師一人一人が闘っている

先生方は背負っているものが異なるのです。介護をしながら教師をしている場合、子育てをしながら、初任者として、教務主任として、管理職として・・・、一人一人が、置かれた環境で子どもたちと向き合っています。先生方一人一人が自身の闘いのを生きているのです。

環境やパーソナリティーが異なれば、同じ児童生徒を受け持ったとしても、彼らの反応は異なります。その中で、子どもたち一人一人を指導し、育てていくのが教師です。よって、教師は、他者と比較するものではないと、私は考えます。

比較は教師を潰す

基本的に、「他者との比較ではなく、昨日の自分と比較する」のが良いと考えます。ただ、企業であれば出世するためには、他者との比較は避けて通れないことが多いです。教師も年度初めは、児童生徒や保護者から、「去年の担任は~だった」などと比較されるのは避けて通れません。それでも、これはかわすことはできると思うのです。これにどのように対応するかも教師の力量です。想定内の事象です。しかし、同僚から、これをされたらどうでしょうか?

「〇〇先生の学年は、うちの学年と比べてだらしないね」などと言う同僚はいませんか?このような比較は、反発を生み、やる気を削ぎます。まず、生徒の実態が違う。しかも、指導を積み重ねていて、学年内でみればかなり状態が改善していることもあり得るわけです。そのような状況下での単純比較・・・。

もし、言うのであれば、「〇〇のような方法もありますよ」というような言い方だと思うのです。単純な比較は同僚性を破壊するのみではなく、経験差がある中での比較は、若手を潰しかねません。

「ありがとう」を広める

私は現状を打破するために、ある言葉を職場に広めることを提唱したいと思います。その言葉とは「ありがとう」です。行事の単元責任者などになれば、打ち上げなどで大勢から労いの言葉などをもらう機会もあると思います。そのような労いや感謝を日常に持ち込めたら良いと考えます。

会議の司会や資料準備、授業の代教、職員室の窓の開閉、ごみ捨てなど、日常の行為に対してお互いがありがとうと言う職場環境を推進していくと、状況は変わると考えます。「ありがとう」は相手を肯定します。誰かの役に立っているということを認識できます。

日々の教師としての務めが役立っているにも関わらず、否定的な比較にさらされ続ける先生方は自己肯定感情が低くなっていきます。そして、暗い表情で、またイライラして子どもたちの前に立つ。すると、子どもたちにしてみれば、訳が分からない。そして不信感が沸き起こる。さらに、教師も反抗的な児童生徒にイラっとしてします。さらに関係が悪化する。このような不幸なことが起きてはいないでしょうか。

ただただ、「ありがとう」の気持ちを同僚に対して持つことから始めて見ませんか?

他の誰も認めてくれなくとも

今、職場で孤立している先生方。他の誰も認めてくれなくとも、私は先生方を支持します。先生方の個々人の闘いが、どれほどの労力を要し、それが児童生徒のためであるならば時間度外視で取り組んでいらっしゃるということが痛いほどよく分かるからです。また、先生方が子どもたちを輝かせて、その結果社会が良くなることにつながることを信じているからです。さらに、先生方こそ、世の中の光であることを知っているからです。

私が認めるまでもなく、支持するまでもなく・・・先生方、どうか、御自分だけは必ず御自分を認めてください。先生方の存在は、この世の光です。これは、何かと比べてそうだとかいうレベルではありません。先生方の取り組みが、光なのです。

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