こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。昨日は、教師世界のお寒いルール、不文律について述べました。本日も引き続き、ルールについて述べます。ただ、今日は気温も上がったので、心温まるルールを御紹介します。このルールがあると活気づくという、素晴らしいルールです。

自分の担当でなくとも気付いたらやる

教師の仕事は授業だけではありません。意外と見過ごされやすいのが、行事や研究会等の会場設営があります。それらの準備は、毎回担当部署が決まっています。その担当を越えて、気付いたら手伝うルールが根付いている職場は雰囲気が良いです。その根底にあるものは何なのかを、詳しく説明できればと思います。

「忙しさ」は心が決める

「忙しい」という漢字を分解して、「心を亡くした」状態と説明されることがあります。明らかに校内一忙しい先生が、「忙しい」と不機嫌にならずに生き生きと仕事をされていることがあります。物理的に見れば忙しいのですが、本人はそう思っていない、心を亡くしていないのでしょうね。こういう先生が、職場の雰囲気を変えていきます。

このような先生は、例えば研究発表会の会場設営が研究部という分掌が担当することになっている場合、自分が研究部ではなくとも、積極的に手伝いに行きます。そうすると、その先生と仲の良い先生も、そのうち同じような行動をとるようになっていきます。そして、一人、また一人と行動を共にする先生が増えていきます。

この「ルール」が不文律と言えるまで浸透していくと、もう担当など必要なくなりますね。手の空いている教師はもちろんのこと、多くの仕事を抱えている教師も、優先順位的に問題なければ積極的に手伝うようになります。こうなれば、教師たちは忙しく動いているようには見えても、心があります。だから、「忙しい」とはなりません。彼らの心の根底にあるマインドとは、どのようなものなのでしょうか。

「損得」ではなく・・・

彼らは、間違いなく「必要か否か」、「やるべきか否か」で動いています。それは理屈ではありません。教師として、いや、それ以前に「人としてどうあるべきか」で動いています。

ここで誤解していただきたくないことがあります。それは、「自分の担当以外の仕事を手伝わない教師はダメだ!」と言うつもりは全くないということです。特に、どうしても席を離れられないくらい大変な仕事を抱えている先生もいます。そのような方は、たとえ担当であったとしても、他の担当内の教師で補えば良いのです。

ただ、「決められたことしかやらない教師集団と、できることは担当以外の仕事も手伝う教師集団のどちらが、職場の雰囲気を明るくしているか。また、どちらの教師集団が子どもたちを伸ばすか」という点には関わってくると思います。

担当以外の仕事も手伝う教師集団は、「損得」で物事を判断しません。その姿勢が校内の幼児・児童・生徒に伝わるとしたら、子どもたちにも良い影響があります。理由は、子どもたちは教師の言動を良く見ているからです。

教師は様々な指導場面で「他の子のことも考えなさい」、「手が空いているのなら手伝ったらどう?」などと指導します。その言葉を誰が言うか、ということです。「やるべきか否か」で判断して他者のために身を差し出す教師の言葉は説得力があります。もともとが、論理性を含んだ指導言ではありますが。

「労働者」である前に・・・

「教師労働者論」が叫ばれて久しいです。それを否定はしません。しかし、肯定もしません。それを叫ぶ人たちを見て、肯ぜないということもありますが、そんなにスパッと割り切れるものではないからです。

確かに、教師も労働者です。しかし、それ以前に大切なことがあります。それは、「教師は専門家」であるということです。教師は、教える専門家です。教えるのは知識のみではなく、道徳や倫理感も教える必要があります。そして、その方法は授業のみではありません。自身の姿勢で語ることも必要になります。

確かに、教えても響かないことはあります。しかし、響かないからやらなくて良いということにはならない。教師が「教師」と呼ばれ、認められるのは「教える専門家」と思われているからです。「教科学習」や「領域」の指導を含めて、全教育活動で、子どもたちの人格の完成を目指して向き合うのが教師なのです。

専門家は「損得」では判断してはなりません。医療の専門家である医師が、「より高い治療費を払う患者しか診ない」と言ったらどうですか?それは専門家とは言えないような・・・。

組織に属して、目の前に治療すべき患者がいるのであれば、知識と技能を総動員して治療にあたるはずです。手術をするはずです。「あっ、勤務時間が過ぎたから、手術やめるね」とはならないはずです。

教師も同じです。「労働者」意識を前面に出すと、生徒の進級問題を論じている会議であっても「あっ、もう勤務時間終了(介護や育児等の特殊事情がない、通常の勤務体系の場合)だから帰るね」といったことになりかねない。権利は保障されるべきなので批判はされません。ただ、それではプロではないと思うのです。専門家ではないと思うのです。

まとめ

「損得」ではなく「やるべきか否か」で動く教師集団は、積極的に他者を手伝うルールを強制的にではなく、自然な形で作り出します。そして、押しつけ感、押しつけられ感がない。お互いがお互いを自然に思いやる職場。学校で起きることは、全て「自分事」として考えて行動できる教師集団がいる職場。

このような職場に出会えたら素敵ですね。いや、あなた自身の一歩がこのような職場を創っていきます。ぜひ、実践してみてください。

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