こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。9月になりすっかり涼しくなりましたが、私の中で、甲子園でのあの金足農業の校歌斉唱の様子が頭から離れません。

それは、私の教師としての在り方を決めたものの一つとして「校歌斉唱」が挙げられるからです。年上の同期の先生に、「勤務校の校歌を大きな声で歌う教師でいろよ」と、初任者として臨む4月の始業式に言われました。

私は怪訝に思いながらも、「はい」と答えて大きな声で歌い始めました・・・。

今回は、何か言われた際の受け取り方で教師の方向性が決まることについて述べます。教師の働き方では、受け取り方は重要な意味を持つと、私は考えます。

受け流すかやってみるか

社会人になって、細かいことを言われると「うるさいな」、「面倒くさいな」と思うことがあると思います。しかも、技術的なことではなく、ある意味「姿勢・考え方」に関することは、受け入れがたく素直になれないこともあるでしょう。

ただし、そこで「なぜ、私に言ってくるのか」、「やってみたらどうなるんだろう」、「すぐにできるから、とりあえずやってみよう」と思うと、大きな気付きが待っているように思うのです。そして、それが在り方を決定付けることすらあります。

細かいことを言うのは労力がいる

そもそも、細かいことは、言う方も嫌です。ということは、それを言われるということは、自分自身に欠けているか期待されているかのいずれか、と考えた方が良いと思います。

言われるのも最初のうちだけ。時間がたてば、自分の判断に委ねられることが多い教師という職業。そうだからこそ、責められたりしているのでなければ聞く耳を持つことをお勧めします。

私に助言をくれた同期のY先生は、講師経験があり年齢も上でした。そういうこともあり、素直に聞くことができたように思います。

年齢もそうですが、経験がある方の言うことには、とりあえず耳を傾けてみると良いです。そして判断してみてはいかがでしょうか。私は、「校歌は大きな声で歌え」というものでしたので、その場が活気づくだろうという思いもあって、何の疑問も持たずに受け入れました。

教師は「姿勢」でも語る

校歌を歌い始めて気付いたことがありました。それは、児童生徒が歌っている中、教師も大きな声で歌うことで一体感が生まれるのです。そして、歌っている様子を見て嬉しそうな表情をする児童生徒。

儀式的行事の「斉唱」ですから、歌うのが当然でもあります。しかし、その当たり前のことを当たり前に行うことが、児童生徒とともに学校を創っていくということなんだ、と気付きました。

私の初任校は、肢体不自由養護学校(※当時。現在は、特別支援学校)でした。声が出せる子どもから、出せない子どもまでいます。しかし、障害のため声が出にくい子どもほど、全身を使って表現しようとしています。学校の教育活動全体で子どもたちの発達を保障するというのはこういうことか、と身震いしました。

大きな声で歌う教師の姿は子どもに安心感を与えます。教師は言葉だけではなく、姿勢でも語るのだと分かりました。そして、愛校心というのはこうやって自然と生まれるのだ、と後々思うようになりました。

教師の最大の仕事は児童生徒の命を守ること

細かいことに本気でしっかり取り組むと、児童生徒は、それをその教師のスタンダードだと思うようになります。何事も本気で取り組むこと。例えば、避難訓練も本気でしっかりと取り組むことが必要です。

避難訓練への取り組みはいかがでしょうか?現実は、子どもたちだけではなく、先生方の中にも私語をしながら非難する人もいます。このような姿勢は、実際の場面で、子どもの命を危険にさらすことにつながる恐れがあります。

訓練一つ真剣にできない大人の言葉を、本番に子どもたちが信用するでしょうか?教師の指示が通らなければ、個々人が勝手に判断して、バラバラになってしまいます。確かに、最終的には、自分の命は自分で守ることが大前提です。しかし、学校で大地震等に被災した場合、教師は瞬時に、「隠れるのか」、「逃げるのか」の判断を下さねばなりません。その言葉を聞いてもらい命を救えるかどうかは、日頃の姿勢にかかっています。

教師の最大の職責は授業を教えることではなく、子どもたちを無事に家に帰すことだと思います。

受け取り方が姿勢を決定付ける

私は、「校歌を大きな声で歌う」ということを素直にやってみて、「なるほど」と肯定的に受け取りました。この一つの出来事が、「教師としての姿勢=在り方の重要性」を理解することにつながったのです。

もし、「何で自分がそんなこと言われないといけないんだ」、「そんなの自分の考えで決める」と思い、助言を受け入れなかったら・・・。おそらく、私は、同僚たちが校歌を小声でしか歌わない職場にいたらそのようにしか歌わない、もしくは、校歌など歌わない教師になっていたのではないか、と思います。

校歌以外にも、「教師はサンダルではなくシューズを履いた方が良い」という助言などもよくあると思います。その際に、受け入れれば、「なぜか?」を考えて、「避難時の安全ため」などという答えを自分で出すこともできます。そして、安全教育への意識が高まり、児童生徒の校内事故を防ぐ行動につながることもあるでしょう。

結局は細かいことを一つ一つ積み重ねる力こそが、教師としての総合力を高めることにつながるように、私は思います。
「別にそんなことはどうでもよい」という意見もあることでしょう。否定はしません。

ただ、一つ言えることは、細かいことを大切にできる先生方が、児童生徒のより良き道標になっているという事実です。

まとめ

今回は、普段の仕事の中ではなかなか意識されにくいことを書きました。教師の働き方の中で、このような細かなことが意識されていくと、より丁寧かつ安全な学校教育文化の醸成につながるような気がしています。

そして何よりも、先生方の教師としての在り方を、より良き方向に導くものになりうると考えています。

時には、「何、まじめぶってんの?」という声もあるかもしれません。そういう声も受け取り方次第です。こういう場合は、「受け入れない」のが一番です!
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