皆さん、こんにちは。先生のための働き方コーチ・平田洋典です。

以前ブログで、教師の言葉が生徒の中に生き続ける内容を投稿しました(〈先生!あなたの言葉は生き続けていくんです!〉)。

今回は、その逆です。児童生徒の言葉に救われることがあるということについて書いていきます。

たった一言が人を傷付け、救う

言葉は諸刃の剣です。

たった一言が人を絶望させます。と同時に、たった一言が人を幸せにすることもあります。

その言葉が発せられる文脈、それまでの経緯があってのことですが、やはり言葉は大切にしたいものです。児童生徒からのたった一言の言葉に込められた気持ちを理解できた時、それは教師冥利に尽きるのではないでしょうか。

今回は「幸せにする言葉」で!

離任式の朝、廊下にて

私の初任校は、島嶼のある県の大規模な肢体不自由養護学校(現特別支援学校)だったので、寄宿舎がありました。寄宿舎と校舎は続いていますが、登校時間になるまで入舎している生徒は「境界」を越えてはいけませんでした。

しかし、昇降口から職員室方面に向かう教員を、毎朝、楽しみに待っている児童生徒は多かったです。

日常的な光景ということもあり、私は挨拶をするに終始し、生徒たちの言葉にしっかりと耳を傾けることはありませんでした。

そして教師3年目の終業式、この日は離任式も兼ねていました。

その日の朝、いつも通り、寄宿舎の通路から教員の出勤風景を見ているA君がいました。A君は脳性麻痺です。独歩はできますが軽度の知的障害がありました。

私の姿を目にしたA君はいつも通り「おはよう」と、ゆっくり語り掛けてきました。そして、私は「おはよう」と返して、職員室方面へ・・・

するとA君は、大きな声で何度も何度も叫び始めました。

よくよく聞いてみると、「あ・り・が・と・う」と、何度も何度も私に言っているのです。

そうです。A君は私が異動することを知っていたのです。

この自治体は3月の20日過ぎたある日、教職員の異動者名簿が新聞に掲載されるので、おそらくそれを見ていたのでしょう。

一言の重み

最後の朝に、「ありがとう」の一言。

私はこの言葉に衝撃を受けました。

精一杯の思いをストレートに、しかも朝一番に届けてくれたA君。

一言がここまで人間の気持ちを救うのか、と思いました。

余計な言葉っていらないんだな、と気付いた瞬間でした。

朝、会って、すぐに一言「ありがとう」・・・

なんだか、もう、すごすぎます。

私は、異動する職員の挨拶でもこのエピソードを話しました。

そして、襲ってくるのです。ある思いが・・・。

それは、「自分はありがとうと言ってもらえるだけのことをしたのか?」というものです。

「A君は精一杯に伝えてきた。そう、彼は常に何かを伝えていたな」と。

「確かに、今日は、しっかりと聞いた。しかし、日常の授業場面、生活場面で、自分はどれだけA君の思いを知ろうとして来たか・・・。」

「A君により分かりやすい表現を使い、より分かりやすい教材を準備して、真摯に向き合うことができたか?」

等々。

もう疑問しか出てこなくなったのです。

A君の気持ちの込もった一言は、私を幸せな気持ちにさせただけではなく、教師として居続けるために必要な姿勢・在り方を考える契機ともなりました。

本当に貴重な一言でした。

私の方こそ「ありがとう」です。

言葉は宝

体験談が長くなりました。

私は思うのです。言葉は宝だ、と。言葉は人を救う、と。

私は、教師生活最初の離任式という特別な日の朝に、そのことを体験的に知り、学ぶことができました。

しかし、考えてみれば、このような場面は、日々の授業、ホームルーム、登校で一緒になった時、清掃時等の中にたくさん存在するのでしょうね。

激務の中、ずっと神経を研ぎ澄ますのは大変です。

ただ、時間を決めるのはいかがでしょうか。

小学校、特別支援学校の先生のように同じ児童生徒を見る時間が長い場合は、「この時間帯だけは・・・」と

中高の先生方であれば、「この曜日のこの〇時間目だけは・・・」、「学級のこの時間だけは・・・」と。

このように、全神経を児童生徒の一言一句に研ぎ澄ます時間を決めてみると良いと思います。

その中で、新たな発見があり、児童生徒理解につながることもあるのではないでしょうか。

そして、児童生徒の言葉から元気をもらったら、「ありがとう」と伝えることをお勧めします。

先生方の教師生活が充実したものとなりますように、心から応援しています!

教師としての在り方をお伝えする無料メール講座です
↓         ↓         ↓        ↓
メールマガジン「学校の理不尽に負けない!教師の在り方 5日間無料メール講座」